スマホを取り上げてみればわかる、彼の本当の愛情。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:スマホ依存は、自覚がない分おそろしい。知らず知らずのうちに人間同士を引き離している。それは仲睦まじいあなた達ふたりにも同様に起こる。スマホは、でも、愛情確認のツールにもなる。本当の愛のバロメーターとしてのスマホ使用を伝授する。
"スマハラ”の時代
きのう、”嫌人症”の時代などとのたまったのですが、意外に「いいえて妙」などという反応をいただき、調子に乗ってもう少しお話させて下さい。
カスハラ、カスタマー・ハラスメントということが大きく取り上げられています。
客であることをいいことに、暴言や叱責でサービス提供側に度が過ぎたいたぶりを行うことです。
カスハラだけじゃなく、スメハラ、スメル(匂い)による迷惑、ニンハラ(妊娠ハラスメント)は数えだしたらきりがありません。
だけれども、絶対にハラスメントなどと誰も思ってない行為が厳然としてあります。
それは”スマハラ”です、スマホハラスメント、です。
例えば学生が授業を聞かず、スマホばっかり見ているのも、最近「それもハラスメントじゃねえか」などと感じるようになったのです。
ハラスメントの定義を「その行為をされて不快に思う行動」と広く捉えるならば、その行為は立派なハラスメントではないのか、そう思うのです。
授業態度云々の話ではなくて、スマホに見入って、人の話を聞かないのは失礼だと思わないのかな、という疑問です。
(ちゃんと聞いてくれる学生もたくさんいることは、申し上げておきます)
読者の皆様は笑うでしょう。
「お前だって、大学時代教師の話など聞かずに、友達とペラペラ喋ったり、文庫本読んだりしてただろう、同じことだ」、と。
しかし、僕らの場合は「気を引きたいがためのレジスタンス」というような部分があったように思うのです。
教師にはねじれた気持ちを持っていて、意識つまり若干の尊敬はあり、でも権威だからそんな風は見せないぞ、という”愛憎ないまぜの気持ち”、だったような気がするのです。
しかし、授業が始まるやスマホを取り出して、教師の話などは一切聞かないという行為には、教師を重んじるどころか、意識する気持ちすらないのです。
失礼とか、悪いなあとか、そういう気持ちすらないのです。
ですから、それがハラスメントであるという認識などは皆無です。
しかし、教師からすると、それは無視以上の屈辱であり、ハラスメントとそれをとらえてもおかしくありません。
他者を意識すらしない若者
喫茶店に友達と入って、コーヒーを注文するや、ふたりはスマホを取り出してずっと見入っています。
恋人同士ですら、そうです。
何のために二人でいるんだ、話すため、何かを共有する喜びのためにそうしているんじゃないのか。
いや、2人で入っても、3人でも同じなのです。
しかし、これは日本人だけじゃないということに、僕はショックを受けたことがありました。
それも、もう10年も前の話で、デュッセルドルフ空港のコーヒーショップで、おんなじ光景を見たのです。
共時性なのか、さっき読んでた「ムー」(心霊UFO専門雑誌)にも、スマホ依存のことが書いてあり、他者を意識しないスマホユーザーのライフスタイルについて、「自己完結型ライフスタイル」と表現していました。
自己完結型とは、他者を必要としないライフスタイルのことで、スマホ一台で、日常生活が可能である現実を反映しています。
昨日申し上げたように、僕はこの現象を「嫌人症」と名付けました。
もともと人間は他者がキライなナルシストなのです。
しかし、今までは他者の存在なしには生きていけなかったから、大っぴらにキライと言えなかった。
でも今はスマホという機械製のパートナーのおかげで、うざい他人が必要なくなって、生来の”嫌人症”が鎌首をもたげてきた、という図式なのです。(ほんとか?)
セックスレスの原因なのか
他者の存在を意識しないだとか、自己完結型ライフスタイルだとかは、集団的無意識に昇華し、愛する二人にも及んでいるのでは・・、その結末が愛し合う行為からの忌避であったら・・・。
スマホは少子化の一因だとでも言うのでしょうか。
ムーも、理論構成は違うけれども、僕と同じ意見です。(笑)
まてよ、いいこと考えたぞ。
彼が、彼女が結婚したいって言ってきたら、「スマホなしデート」を提案しましょう。
そんなの嫌だ、と言ったら即、別れましょう。
「いいよ」と答えたら実験です。
喫茶店やレストランに入って、機嫌が悪くなったり、手持ち無沙汰の様子だったら、これも別れましょう。
結婚したら、あなたを忌避し、スマホに逃亡することはわかりきっているからです。
貴女はそんな相手と、添い遂げられる自信があるんですか?(笑)。
野呂 一郎
清和大学教授
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