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プロレス&マーケティング第16戦 プロレスと極真カラテの型における共通点。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:プロレスにおけるリングという”カタ”。極真カラテにおける”顔面なし”という型。見せる型とは何か。UFCのオクタゴンという型の意味。

プロレスのリングという”型”

えっ、型と極真カラテ? 極真カラテは組手だけで型はやらないでしょ?いや、きょうのお話は空手のカタ、ではありません。見せ方のカタ、というおはなしですよ。

きのうまた、ねこっぱちさんに触発されて、これを書こうと思ったのです。

プロレスの型ってまだまだあり、例えば例の6メートル四方のリングに3本のロープを張って、それを取り巻くように観客席を配置して、どこからでも見えるようにする、という見せ方も”型”のひとつですね。

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これは、プロレス独特の見せ方の型、に他なりません。

ここがUFC(ユーエフシー。最強最大の総合格闘技団体)の見せ方と違います。

UFCのリングは”八角形の金網オクタゴン”です。

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あの見せ方はどちらかというと、機能重視つまりどちらが強いかを決めるという目的にそった、形です。

なるべくレフリーの介入がないように、どこにも逃げられないように金網に、二人の猛獣を閉じ込めて、こころゆくまで「ころし」をさせるのです。

そこには「美しいものを見せる」という、芸術的な意図はなく、あるとすれば残酷ショーの程度を強めてやれ、くらいのプロモーター的な商売っ気でしょう。

なぜ、RIZINが金網じゃないのか

そうすると、なぜ、日本の総合格闘技団体RIZINが金網じゃないの?と反論されると思います。

それは、プロレスの影響なのです。

RIZINのファンはおそらくこういうでしょう。

「フン、プロレスなんていうぬるくていい加減な格闘技もどきに愛想を尽かして、こっちに来たんだ。そんなんとと比較なんかするな!」

RIZINファンの一部を代弁

、と。

しかし、あなたがたは知らない。自分たちがプロレスに知らず知らずのうちに教育されて、RIZINにたどり着いたことを。

プロレス→UWF→プライド→K-1→RIZINという流れです。

源流はプロレスであり、力道山です。

そしてその元をたどると、ショービジネスの天才国家、アメリカであり、四角形に3本のロープを張ったあの”型”は、試行錯誤の末に考え抜いた合理的なカタチなのです。

プロレスのリングとUFCのオクタゴン、どっちが見やすいでしょう。

言うまでもなくリングという高い舞台に、試合を面白くする装置であるロープを3本張ってある、プロレスのほうが見やすいですよね。

オクタゴンの金網は選手が決着をつけるにはいいけれども、金網ってそもそも、観客の視界を邪魔するじゃないですか。

ときにはステロイドさえ使って、見せる肉体を造り上げ、タイツやリングシューズに至るまでこだわり抜き、自分でミシンを踏んで覆面をこさえるのは、リングというどこからでも可視化100%、視界超良好の型があるからです。

かつてRIZINの前にプライドという格闘技がありましたが、その頃から日本の総合格闘技は、UFCジャパンを除いてすべてプロレス的リングで試合は行われています。

あのロープを張ったリングという、人を興奮に誘う原型は、プロレスをバカにしている総合格闘技ファンにも知らずに刷り込まれていたのです。

これはこの前説明した、シュワルツの仮説そのものであり、プロレスというシステムの発する場のエネルギー、つまり「呪い」なのです。

日本人にとってリングとは、あなたの魂を祭り格闘に集中させる、装置なのです。

極真カラテ>伝統派空手の図式はなぜできたか

それは、単に梶原一騎が例の「空手バカ一代」で、極真最強をこれでもかとフィクションを交えて力説しただけではありません。

極真カラテは、プロレスと同じく見せ方の「型」を持っていたからです。

それは、「顔面攻撃禁止&KO決着」という型、です。(リングは白いマットを会場中央に設置、ロープのない空間で、四方から観覧させるのは、プロレス同様です)

実は極真カラテの本質は勝負ではなくて、マーケティングビジネスなのです。

こんなことを言うと、極真原理主義の読者の皆さんに怒られてしまいますが、これはマーケティングコラムなので、そんな視点もあるということでお許しくださいませ。

要するに、極真カラテ総帥・大山倍達氏は、「伝統派の戦いの見せ方ではカネにならない」と達観したのです。

伝統派は顔面アリルールだから、手先がゼロコンマ1秒でも早く相手の顔面に届けばいいんです。

それじゃあ面白くないんですよ、観ている一般の人は速すぎて、わからない、ついていけないんです。

でも顔面がないことによって、腹を打ち合い、そのスキに上段回し蹴りをぶっ放したりしてKOが生まれます。

下段の蹴りあいで、痛さをこらえて倒れない我慢比べも、苦闘の表情という見せ場を作ります。

下段と言えば黒澤浩樹。https://qr.quel.jp/pv.php?b=3SN5YEt

どうです、格闘ドラマという劇場的視覚効果は、明らかに極真カラテのほうが伝統派をはるかに上回っていますよね。

その劇場的視覚効果とやらの正体は、わかりやすさ、だと思うんです。

伝統派の高速、いや光速の突き蹴りは、一般人には速すぎてわからないんです。

植草選手見えない突き。https://qr.quel.jp/pv.php?b=3Yhw9o1

わからないとは、シンパシーがない共感がない、ということであり、これでは大衆の支持はえられません。

伝統派空手は技も速すぎる、決着もあっという間に一本だから、戦いのプロセスにおいて喜怒哀楽が見られない。

そこへ行くと顔面NGルールで、おまけにノックアウトされないと決着がつかない極真カラテは、戦いのプロセスにおいて、たっぷり選手の喜怒哀楽が見られます。今流に言えばエモい、のです。

下段蹴りの痛みをこらえる忍耐、何発も突きや蹴りを相手にぶち込む闘志、攻撃を受けながらも前に出る執念、そんなものが表現できるのです。

図解すると、こんな感じでしょうか。

とにかく極真カラテのルールは、「わかりやすさ」という一点で大衆の支持を得たと言えるでしょう。

下図ではわかりやすさ、を「伝わる」という表現にしています。

筆者作成

わかりやすさというシンパシー

両者の武道的な考察は、また別の機会にやりますけれども、マーケティング面では、極真カラテが圧勝ですよね。

顔面攻撃禁止、KO決着(ダメージポイントの判定もアリ)の極真ルールという”型”はゲームをわかりやすくし、観客とのシンパシー(共感)を強めます。

プロレスはリングという型で、「見やすい」という視覚的便益を観客にあたえました。

極真カラテは独自のルールという型で、わかりやすさという便益を見るものに与えました。

マーケティングとは、徹底した顧客目線のことです。

あなたのビジネスにも、”型というくさび”を打ち込んで、消費者を楽しませ、利益をバク上げしましょう。

今日のプロレス&マーケティングを他業種に応用する

1.顧客の視界をさえぎってはいけない。

沢村忠をエースにしたキックボクシングが一時代を築いたのは、当時の沢村が所属した目黒ジムが、外から丸見えのガラス張りにしたからだ。

テレビ中継や沢村の真空飛び膝蹴りの効果だけではなかった。

映画館も前の客がデカいと見えないことがある、より良い視界が確保できるように改造すべきだ。

2.プロスポーツは勝負にこだわるな

実はオリンピックスポーツでさえ、勝負でなくて「見せ方」にこだわっている。例えばテコンドー。足技のポイントが高いのは、派手なケリのほうが視聴率がいいからだ。

ようするに、競技の公平性よりもビジネスの利益性を求めている。

なんなんだよ、これは(笑)

3.ルールで人間は開放され、クリエイティブになれる

例の1995年に行われた、新日本プロレスvsUWFインター全面対抗戦。

結局大将戦で武藤敬司が高田延彦に勝ったが、あれはプロレスルールが、UWFルールに勝ったことに意味がある。

https://qr.quel.jp/pv.php?b=3y9Qml0

ようするにプロレスルールのほうが「見て楽しい」という利益を消費者に与えることが証明されてしまった。

4.表情でカネを稼げ

きのう、プロレス技の3要素で「表現力」と言った。それはつまるところ「表情」だ。

アスリートはもっと表情を研究すべきだし、スポーツ側も選手にもっとシンパシーを呼ぶ表情をさせるように、ルールを、スポーツそのものを改造せよ。

もう商業主義がどうのこうの、と言っている場合ではない、スポーツも金儲けしないと、存在自体が危ない。

表情はサービスのプロにも求められる。バンドマン、セールスマン、なんだったらステージで失神してもいいんだ?

「失神伝説」のオックス・赤松愛さん。https://qr.quel.jp/pv.php?b=40KOegC

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

じゃあ、また明日お目にかかりましょう。

野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー






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