いま、日本で一番クィアかもしれないマンガ『あそびあそばせ』13巻感想

 こんなことを指摘しても本人はありがたがってはくれないだろうが、『あそびあそばせ』シリーズの作者、涼川りんは「画力のムダ遣い」で話題になったが、現役まんが家のなかでも一、二を争うインテリでもある。涼川が西洋の芸術や文学に造詣が深いことはマブレックス名義で発表されている『ゴッホちゃん』や『お気楽シェイクスピアの二日酔い劇場』に明らかだ。特にシェイクスピアに関する思い入れは強いようで、『あそびあそばせ』でも時々引用されていたが、12巻ではついに、演劇部の上演にかこつけて独自の『オセロー』解釈が披露されていた。また、『あそびあそばせ』ではしばしば(特に香純と青空つぐみに関連する箇所で)リレー小説やドローンを利用したメタシアター的な仕掛けが多用される傾向にあるが、これはおそらくシェイクスピア的な劇作法を自家薬籠中にしたものだ。シェイクスピアに着想を得たマンガ家というのは沢山いるだろうが、ここまでの理解をしている人は他にはあまりいないのではないか。

 とはいえ『あそびあそばせ』初期はたまに「おや?」と思う引用があるくらいで、ギャグマンガであることに徹している感が強かったのだが、7巻あたりからはギャグマンガという枠組みだけではとらえきれないような面が増えてきた。分かりやすい変化はもちろん新聞部と美術部の3年生たちが台頭し、最新の13巻では公式PVまでが「主役交代?」と銘打つほどになったことだが、決定的な転換点だった8巻収録の第75話「闇を狩るもの」であったように思われる。

 「闇を狩るもの」では学校に長年住み着いているとされる吸血鬼が登場するのだが、この吸血鬼と学校のOGで、同じく学校の卒業生で現在は英語教員として勤務している樋口先生の同級生、聖との関係が明らかに同性愛的なそれなのだ。(この方面、私は明るくないのだがどうも「吸血鬼もの」には吸血鬼を同性愛のメタファーとして扱うという伝統があるらしい。そういえば日本でも数年前に差別的な文脈で吸血鬼と同性愛者を重ねる映像作品が制作されて問題になったことがあった)これ以降、『あそびあそばせ』は異性間の恋愛からは逸脱した「クィアな」欲望を積極的に追及するようになっていく。

 特に美術部3年の「シャネル先輩」は新聞部3年の「副部長」に好意を抱いていて、第13巻ではその経緯も明らかになるのだが、彼女は「相手の胸に棒状の何かを突き刺す」あるいは「相手の口になにかを突っ込む・注ぎ込む」といった行動に尋常でない執着を持っていて、そういった行為が性的交渉のメタファーであるというよりも、彼女にとってはそれ自体が欲望の具現化であるらしい。

 現在の同性愛者の運動においては同性愛を異性愛と平等なものとして認めるように政府や自治体、世論に訴えていくのが英米においても日本においてもメインストリームとなっている。同性婚などが認められないことによって苦しむ当事者がいる以上、実際の運動がそのような方向に向かうのは当然のことではあるが、こうした動きは同性愛をはじめとした逸脱的な欲望の形を、あくまでも異性愛の鏡像か何かであるかのように、一定の形へと落とし込むような面も持っている(それを言えば、異性愛だって本当は様々な形があるはずなのだが)。

 「クィア」というのは、乱暴に要約すれば、同性愛・異性愛といった決まった形にうまく落とし込むことができない欲望を、受け止め、むしろ積極的に引き受けていく姿勢を指すが、シャネル先輩はまさにそのようなクィアな欲望の求道者であると言える。
 で、13巻を読んでいて気になってしまったのが、次のコマ(134頁)。

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        涼川りん『あそびあそばせ』13巻、白泉社、2022年。

 事情があって〈あそ研〉に立ち寄った久保田みゆき(右のコマ、左側のウェーヴのかかった髪の毛の人物)を前にして、香純氏が暴言を口にするのだが、本田華子(右のコマ、右側)はその内容についてはスルーし、久保田みゆきがその点を疑問に思うというのが右のコマ。左上のコマで久保田みゆきが「何か」に気づく(『あそびあそばせ』では内気で大人しく、観察眼が鋭そうなキャラに限って実は周囲のことが見えていないというパターンが繰り返し描かれるが、久保田みゆきは基本的には「見えている」キャラである)。左下のコマでは久保田みゆきの視線の先にあるもの、本田華子の上半身が描かれており、その首周辺の点線状の書き込みから、本田華子の身体が小刻みに震えているらしいことが読み取れる。右のコマの気楽そうな表情とは裏腹に、本田華子は香純の言動にただならぬものを察知しておののいている(胃袋やぶけそう)。

 この前後ページのインパクトが大変強烈だし、比較的小さなコマでのことなので、初読の際は見落としてしまったのだが、美術部・新聞部が主に描かれている裏であそ研内部の人間関係はかなり危機的な状況が続いているようだ。というわけで最近の『あそびあそばせ』はギャグマンガのように見せかけて、人間関係の機微を描くマンガになっていますというお話でした。

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