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帰属意識を満たすための散歩

最近の僕がほとんど毎日行っていることといえば散歩だ。

父親が亡くなってからそれまで日課だった読書や筋トレはなんだか体に力が入らずやっていない。

じゃあ、なぜ散歩だけは続けていられるのか。

それは、社会の一員として認められているような気がするからだ。

いわゆる帰属意識。僕は友達がほとんどいない。
好きな人もいなければ「この子いいな」なんて感情さえも最近は顔を出さない。

孤独なのだ。そう、孤独なのだ。

僕が散歩に行く時間は夕方の日が落ちてきた時。あえて大通りに出る。


僕の横を通り過ぎていく車のヘッドランプに幾度となく照らされる。
その度に「僕は社会で生きてるぞ!」という気持ちにさせてくれる。

それと、家から出ることがない僕にとっては散歩が1日における社会とのつながり。

仕事から帰ってくる人、買い物帰りの人、色々な人がいる。

そういった人間の生活サイクルの一部に僕も入っているような感覚になれる。
それで僕は心が満たされる。

できることなら、誰か隣にいてほしい。寂しい苦しい辛い思いもする。
そんな夜を幾度となく過ごしてきた。

「楽しい思いをするには、苦しい思いが必要不可欠」ということは理解しているつもりだ。

だから僕は、楽しい思いをを待ってまた明日からも帰属意識を求めて散歩に出かける。


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