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鬱病になって、社会復帰までの道のり

今回の話、どこかで書いたようにも思いますし、
個人的な記録かつ暗い話なので、嫌な人は飛ばしてください。

備忘録として書いておきます。(閲覧注意)

写真は無関係な拾いもの。

Laura さんですね。



(閲覧注意)

もともとの始まりは周期的な不調時に人事異動で
クラッシャー上司がやってきて、対人関係が破綻したことでした。
コロナウィルスが流行る1年前が破綻時期。

本当にこれは高校時代に次ぐ最悪に近い時期だった。

50代になって能力が下がってきて、体力も下がってきた。
そこにヒステリックなクラッシャー上司(年下女性)がやってきて、
目の敵にされてつぶされたと思っています。

誰が何と言おうとそういう認識です。
他からの忠告、訂正は受け入れません。

もともと鬱病は潜在的にあった。
医療業界は根強くパワハラが残っている根性論職場。
そこで勝ち残っていく、生き残った者が正義。
そういう業界です。

仕事は全くできなくなった。
毎日、毎朝、死にたい、死にたいばかりを繰り返す。

そうしているうち、電話がかかってきた(休職中)。

残務を済ませてから出ていけ。

できるか、ぼけ。
医療業界は意地が悪いと思った。
10年務めた職場でもこの扱いです。

もうすべてをほっぽり出して引きこもった。

その仕事場にはそれから二度と行っていない。

社会適応は自分には無理なんだ。
社会不適合者なんだ。
不良品、粗悪品、死ぬしかない。

この状態が半年続きました。
夏にダウンして、正月まで寝て過ごした。

すこし元気が出たのはそれからしばらくしてから。
伊勢神宮参拝にいった。
遅れた初詣に。

この伊勢神宮にいく近鉄電車の電光掲示板に
変な病気が流行っている、どこぞの神社で護摩行で
疫病退散をしたとニュースを見た。

マスクを普通に買えていました。

英語の勉強始めた。
この頃からマスクが買えなくなってきた。
アマビエの絵が流行ったのはこの頃。

そしてこの頃から本格的にコロナウィルスが流行り始める。
社会状況がヒステリックになっていった。

高速道路の電光掲示板に
不要不急の外出するな、と出る。
県外ナンバーの車を監視する性格の悪いのも出現する。
マスク警察が跋扈する。

そしてオリンピックやってた時に心筋梗塞で死にかける。
薬は飲んでいるけれど後遺症は残っていない。

どこか、この辺りまでの記憶はうつろです。
破綻が決定的になった時のことも覚えてはいるが、
風景画のように覚えている感じ。

死にかけてから1年たち、そろそろいいだろうと仕事探しを始める。
半年ほど探したところで、再就職したのが去年の夏終わり。
すべてをほっぽり出したところから4年が経過しています。

この4年間に社会がかなり変わりました。
パワハラが社会問題化し、許すまじ、なものに変わった。
無理しないほうがいい、という価値観が広まった。

コロナウィルスが流行ったからでしょうか。
自分は引きこもっていたので感染していません。

何回も書いた気がするんですが、
コロナウィルス前の息詰まるような、酸素濃度の薄いような、
コミュニケーション能力至上主義、根性あるものが正義、の
息苦しい雰囲気は耐えかねるものがありました。

社会復帰してから感じているのですが、
自分が歳を取るのを自覚できていなかったなと思うのです。

疲れを感知するセンサーが壊れていることも。

そして自分もあれだけイヤだった、根性論的価値観に
汚染されていることに気づかされました。

たぶんこの2つ「根性論」「加齢への無関心」が
自分が壊れた原因だったのかもと現時点では結論しています。

事実、処世術エントリーで書いたように、
自分のライフイベントが乏しいので、
若いころの意識がずーっと続いているところがありました。

人というのは年を取って、役割が変わることで、
その意識づけの切り替えができるのですが、それがないのです。

若いころ、幸せだった頃に意識が、記憶が、心が固着している。
薬物中毒で亡くなった友人のように。

現実が苦しいことの裏返しなのでしょう。
この隠遁期、世捨て人期で強制的に区切りをつける感じなのです。

あくまで比喩表現なのですが、

巨大な圧縮フォルダ、過去の記憶.zipができて、
その記憶は乾燥し、フリーズドライ化した。

一度フリーズドライすると、元のものには戻らない。

ある精神科医のYoutubeでこう言っていました。
不安を起こすのは偏桃体。
偏桃体の活動は30歳を越えると下がってくる。
偏桃体を抑え込むのは前頭前野。
前頭前野の活動は偏桃体の活動が低下してから上がってくる。

なるほど。

確かに若いころのようなヒリヒリするような不安感は
あまり感じなくなっていて、自覚症状的にも同意できるところです。

この4年間は何だったのか、をこれから整理していかなくては
いけないのでしょう。

年齢的にも、社会的にも、どこかでいったん大きく
方向転換を余儀なくされる時期が
誰にでもあると最近は思います。

自分の場合は、隠遁期がそれだったのかもしれないですね。
どこか対人関係の取り方も前と較べて違っているなと思う。

自分の人に理解してもらうのをあきらめてる。
ほとんどの場合、こっちのことを理解してくれるという
期待を持つからダメージをうけるわけで。

ほとんどの人は自分にとってニュートラル、
一部の人は完全に敵という認識です。

完全に敵なのは相互理解は無理。
歩み寄るとこっちが壊れるから。
向こうはこっちに合わせろと言ってくるのですが、
そんなことをする義理は無い。

この対人関係が冷徹な、冷え切ったものであるという考え方は
若い時にはなかった視点。

自分は人に好かれることは無い
自分は理解されることは無い

この自己認識は、自分を守るうえで必須の考え方になりました。
ただここまで歪んでこじれると修復は無理なのですね。


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