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18 人産みの母

 池のように澄んだ青空の下に、巨大なライオンがいます。
 古墳の前に座っている巨大なライオンです。
 アイもいます。ライオンに会いにやってきたのです。クァシンも一緒です。
 昨日二人で、とある事件を解決したのですが、その時一人の女性が言った「生まれてこなければよかった」という言葉がアイの頭に残っていて、そのことについて聞きにきたのです。ライオンは叡智で有名ですから。

「生まれてくるかどうかは、決められないでしょ」

 とアイはライオンの鼻の上に座って空を見上げながら言いました。

「ああ」

「じゃあなんで、生まれてこなければよかったって言えるの? 生まれてこないことを選ぶことなんてできないのに」

「一種のレトリックのようなものだろうね。その言葉のままの意味じゃないんだ。その人は、生きるのがつらい。って言いたいんだろ。生きるのがつらいという感覚は、アイに分かるかい?」

「分かんない」

 とアイは、木陰でうさぎにハコベラの葉をやっている友人を見ました。
 うさぎというのは、アイの飼っているうさぎです。アイが胸に抱いて連れてきたのです。
 アイは、聡明な友人にも意見を求めました。

「それっていうのはさ、生きるのがつらいとか、生きるのが嫌になるってこと?」

「えーっと……」クァシンは少し考えました。「分かんない。アイは悩むことあるでしょ。その時どうなの?」

「おやおや、意外に、アイには悩みが多いんだね」
 ライオンは意外そうに口を緩慢に動かして言いました。

「そうかなぁ。あまり思い出せないね。だってさ、いま悩んでないから」
 アイは小石をポイっと投げました。

「悩んでる時は思うかい?」

「思うのかな? どうだろ。だってどうせ次の日は悩んでないから」

「じゃあ、アイにとって、世界は幸せなことかい?」

 そのとき、ワールドザワールドの女神がやって来ました。

「こんなところにいたのね」
 とアイとクァシンに目をやると、ラクダから降りて、「今日は出産の日よ。アイ、クァシン、人産みの母のところへ行きましょ」
 と二人もラクダに乗るよう、連れてきた大きなフタコブラクダを引いて前に出しました。

 二人は大きなフタコブラクダに乗りました。ワルワルの女神も自分用のラクダに乗ります。うさぎは探したのですが、見つかりませんでした。勝手に帰ったのでしょうか。クァシンが目を離した隙に消えてしまっていたのです。
 三人はうさぎを探すのを諦めて、町のトヨタマ区にある人産みの母の家へ向けて出発しました。

 人産みの母に関するお仕事です。このお仕事は、一年に二度ほどあります。いつも主にアイとクァシンに任されているのですが、それももう今年で四年目になります。
 内容は単純で、人産みの母が産んだ子どもを、町や村の子を欲しがる家庭に届けるのです。

 人産みの母は朝から晩まで、ひと月中のいつでも、大きなベッドの上にいます。家が小さくベッドが大きいので、扉を開けるとすぐにベッドです。そのベッドいっぱいに寝ているのです。体重は三百キロを越そうかという巨躯で、いつも手に何か食べ物をつかみながら周りのみんなに何かしらの文句を言っています。
 アイとクァシンが来ると人産みの母はコップを投げつけて言いました。

「ガキを入れるんじゃないよ」

「そんなこと言わないで、人産みの母。アイとクァシンよ」

「ああ、あんたらか。おいで」

 人産みの母は人が変わったようになって二人の頭を撫でました。
 けれども優しい撫で方も、優しい声音を出すこともできない彼女なので、ぬいぐるみを乱暴にこねくり回すような仕草になりました。
 人産みの母は言いました。

「今日の夜、日が暮れてからおいで、子が生まれるのはそれからさ」

 帰ってみると不思議なことがありました。
 ライオンのところで行方不明になっていたうさぎがやはり一人で巨大樹のところまで帰っていたのですが、そこにいたのは一匹のうさぎではなく、数えきれないほど大量のうさぎたちでした。
 ふさふさしていて、丸っこくて、ぴょんぴょんはねてまわるかわいいウサギたち。アイとクァシンは人産みの母のところに行く時間になるまで、ウサギの面倒を見て過ごそうということになりました。

 クァシンはウサギ一匹一匹を見比べてそれぞれの特徴を調べました。何やら興味深そうに一匹一匹取り上げては、耳の形から、お尻の大きさまでつぶさに観察するのでした。
 そして、クァシンは研究の結果、驚くべきことを発見しました。それは、どのうさぎにも寸分の違いもなく、全てが同じうさぎのクローンであるということです。

 アイは倉庫からニンジンを取ってきてそれをウサギたちにあげては、頭を撫で撫でしてかわいがりました。クァシンからうさぎがクローンだと聞いても、よくわからなかったので、笑顔で返しました。ただ昨日まで一緒だったうさぎが一体どれだかわからなくなったのには困りました。クァシンが、「全部昨日のうさぎなんだよ」と言いましたが、よく分からなかったので、「意味がわからない」と言いました。

 ワルワルの女神はうさぎのことは二人に任せ(実際この事件には興味がないのでしょう)一旦、自分の部屋に帰り、雑記帳をとると、それを持って町へ出かけて行きました。別の仕事があるのです。

 夜になって、金星が光りはじめた頃、二人は人産みの母のところへ行きました。するともう子どもたちは産まれたあとでした。子どもはほんの赤ん坊から、一歳くらいのまで、実にさまざま。

「今回は十四人産まれたわ」

 雑記帳に記しながら、ワルワルの女神はアイとクァシンに子どもを預け、連れてゆくべき家の住所を説明してゆきました。
 人産みの母は、もうぐったり疲れて口もきけません。
 ワールドザワールドの女神が、アイに白湯を運ばせそれを渡したのですが、それに目もくれないほど。しかしやがて自然に回復すると罵倒が溢れ出すでしょう。

 アイとクァシンはいよいよ仕事にかかります。町やら、村やら、ときには辺鄙な町外れの方まで運ぶこともありますが、家のチャイムを鳴らし、親に子どもを渡しては戻り、また渡しては戻りを繰り返すのです。

 ついに最後の子どもとなりました。

 クァシンは疲れたというので先に帰って、最後の一人はアイが届けることになりました。ワルワルの女神は赤子を抱きあげて、
「この子はハリウッドさんね。よかったわ、優しい夫婦のところよ。アイ、この子をハリウッドさんのところへお願い。住所は——」
 と説明しました。
 渡された子は、中でも一番小さな子どもでした。

 アイはハリウッド家に到着しました。
 するとこんな声が聞こえてきたのです。

「子どもが来たら痛めつけて、俺らの分まで働かせてやろう」

「そうね、言うことを聞くようにしつけるために、しっかりと恐怖心を植え付けるのよ」

「まだ来ねえな。まさか来ないってことはないよな」

「いいえ来ます。だって私たちの順番ですもの」

 アイは驚いてチャイムを押そうとする手を止めました。そして扉の前であわあわと迷い、結局その扉を開けることなく、子どもを抱えたままその場を去ってしまったのでした。

「ハリウッドさんはダメだよ。この子を無理やり働かせて、悲しくさせちゃうよ」

 アイはワルワルの女神に伝えました。
 しかし、

「そんなことないわ、アイ。……ハァ。いったい、何を言い出すかと思えば、ハリウッドさんにそんな失礼なことを」

「だって聞いたんだもん」

「ちゃんと届けなさい」

 アイはちらと人産みの母を見ました。ネチャネチャと音を立てながらピザを食べています。人産みの母が頑張って産んだ子を、ハリウッド家には渡せない。
 アイは自らの心の声を聞きました。

 それからアイは子どもを橋の下に隠し、人産みの母のもとへ帰り、最後の子もきちんと親の元へ届けられたと嘘をついてワルワルの女神と巨大樹へ帰りました。それからワルワルの女神が自分の家に入って扉を閉めたのを見るとすぐさま橋の下へ行き、様子を見ました。赤子はぐっすりと、苦しみの一つも知らないような穏やかな寝息をたてて眠っていました。

「安心してね。僕が育ててあげるからね。無理やり働かせたりしないから」

 そう言って赤子を抱くようにしてその場にうずくまったアイでしたが、彼を追いかけて、あとをついて来た存在がありました。橋の下にアイを見つけるとすぐそばへ駆け寄ってきて、アイの肩を齧りました。アイは薄く目を開けて見ました。
 その正体はうさぎでした。
 一匹のうさぎが、夜中家を出たアイの後をついてやってきていたのです。
 アイは赤子とウサギと一緒に、その夜は橋の下で眠ったのでした。

 次の日、町では騒ぎが起こっていました。ハリウッド夫婦のもとに子どもが来なかったからです。
 町の人たちは人産みの母に向けて言いました。

「これほどいい夫婦の元へ子を産まないなんてひどい」

 しかしそれに対しては、ワルワルの女神が必死に反論しました。
 そして彼女は、ちょうどその時やって来たアイを見つけて、彼に叱りつけたのです。

「アイ、あの子をどこにやったの。ちゃんと届けないとダメじゃない。探して来なさい」

「だって、だって、ハリウッドさんは」

「ハリウッドさんがなんなの。これほど子どもを欲しがっている、優しい夫婦なのに、なんてことをしてくれるの」

 ハリウッド夫婦もそこにやって来て、「子どもはどこにやった」とアイを責めたのでした。

 アイは何も言わず、その場から逃げ出しました。

 そしてアイは赤子とウサギと一緒に、もう誰の目にもつかないところに隠れました。
 それから誰も、アイを見つけ出すことはできなくなりました。

 アイには親がいませんでした。だから人一倍、親子という問題には敏感ですし、子どものことが心配なのでしょう。運よくアイは女神たちに見てもらえましたが、この不幸な赤子はこれからどうやって生きるべきなのでしょうか。
「生まれてこなければよかった」
 という残酷な言葉が、アイの頭に繰り返されたのです。

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