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元祖1式体験記 vol1~10

1 2022.6.7 元祖1式 楽しそう。

お部屋の掃除をするように。

脳の中の思考も、定期的に整理をしてみる。

『元祖1式』で( *´艸`)

既に知っていらっしゃる方も多いかと思いますが、元祖1式と言うのは、

思考をとめようとする以外の全ての思考を止め、常に完璧な潜在意識に全てをゆだねる。

カオスになっているアタマの整理には、もってこいですね 笑

ただ、宇宙の法則や引き寄せとは違うところもあります。それは、“願望”すらも手放し、全てをゆだねるという部分です。

宇宙の法則や引き寄せだと、自分の願望に意識をむけるけれど、元祖1式では願望すらも手放す。

この考え方は、潔く気持ちがいいですが、『じゃあ、どうやって

願望をかなえるのよ( ゜Д゜)』となりますよね 笑

そこで、『思考がとまれば、完璧な潜在意識が、完璧な現実として現れる』

といったような内容のアファメーションを唱えるようです。

このアファメーションは、人それぞれ自分にしっくりくるものに改良して良いみたいですよ。

潜在意識は、常に自分にとって、どんな願望をかなえるのが一番のしあわせになるかも知っている。

だから、願望すら手放すことで、その時々において、自分に一番ふさわしい閃きや、しあわせが勝手にやってくる。

常にしあわせでいる極意なのかもしれませんね。

もちろん私も早速はじめましたが、思考を止めることが、こんなにも難儀なものだとは・・・(;^ω^)

始めてやる試みに戸惑いを隠せません 笑

ですが、これにより自分を更に知ることになりました。

しばらくは、アタマの整理の為にも、続けてみようと思っています。

さてさて、深淵なる自分の何を知ることになるのだろうか。

2022.6.9 vol2 それに見合う理由を思考しない。

元祖1式開始から2日目。

三日坊主にはならないようにしたいです。

せめて1ヶ月 笑

思考をとめようとする以外の全ての思考をとめる。そして、完璧な潜在意識に全てを委ねる。

たったこの二つに、集中するだけなので、『簡単!!(´∀`*)ウフフ』と思っていたのですが、人間とは本当に複雑なものですねぇ~。

指をパチンと鳴らして、『はい!切り替わりました』とはいかないようです。

思考をとめているはずなのに、心が揺れています。

今まで自分が思考し、意味を与えたものに対し、感情が動くと思っていたのですが、感情が先にあって、思考を使ってそれに見合う意味づけをしていているケースもあるのかも・・・。と自分の体感から思えてきました。

ですが、元祖1式を始めたからには、心が締め付けられるような感覚があっても、

“思考をとめようとする以外の全ての思考をとめる。全てを完璧な潜在敷に委ねる“

なので、その現象に対しても、それに見合った意味づけも、解釈もしません。

1日の毎瞬において、なにかしら思考していた人生から、何も思考しない人生への変更。

思考をしないで良い分、楽なのかな?と楽観的に考えておりましたが、昨日の1日を通して、なぜか反対に疲れを感じています 笑

意識がある間中、思考をしないように見張っているからでしょうね。

新しいことを始めると、勝手が解らず苦戦するものです。

おっと、思考してしまった(;゜Д゜)

クワバラ クワバラ

2022.6.8 Vol3 生業にする。

う~む・・・( ̄д ̄)

どうも外側の音に反応して、思考が動き出すなぁ~。

その思考が始まる一歩手前で止めるのが、骨の折れる作業だなぁ~。

誰かが立ち上がる音。

電話の音。

誰かと誰かの話し声。

誰かのパソコンを打つ音。

自分のお腹の音 笑

う~ん・・・つい、音に意識が反応してしまう。

反応したくないなぁ~。

あっ、反応したくないも思考か・・・。

はぁ~~~~(+_+)

難儀だなぁ~。

その都度『思考が邪魔をしなければ、必ず完璧な潜在意識が一番良いものを常に与えてくれる』とアファメーションをすることになる(;´�Д`)

本当に・・・骨が折れる 笑

その時、ふとっ『反応しない練習』という本の映像が脳裏をかすめる。

だいぶ前に購入し、読んだ本だけど、あれに何かヒントがあるのだろうか。

とにかく、あとでパラパラとめくってみよう。

なんとなく、楽しく感じる時間が増えた気がする。

余計な心配が出来なくなるからかな?

なにせ、思考とめることを生業にしておりますから。

2022.6.9 vol4 強制丸投げ練習装置。

元祖1式の思考をとめて、全てを完璧な潜在意識にお任せする。をやり始めましたところ、不思議なことに、奇跡講座をやっておりました時と同じような感覚になることが多々あります。

奇跡講座を一度でも試みたことがある方なら、ご理解いただけるかと思うのですが、奇跡講座のワークの中には、『私は何も解らない』とか、『聖霊に委ねなさい』とかあるんです。

言葉に違いはありますが、言っている内容は同じ・・・なのではないかと、思う次第です。

因みに奇跡講座と�は、かなり分厚い本で、1日毎にワークがあって、スピ系が好きなマメな方にはお勧めできる本です。

宇宙の法則も引き寄せの法則も、『結果に期待しないで』とか、『執着しないで』あとは宇宙にお任せする。みたいなところがありますので、こちらもまた、最終的な丸投げ感は同じような気が致します 笑

丸投げする相手の名を潜在意識と呼ぶのか、聖霊と呼ぶのか、はたまた、宇宙とよぶのか、呼び名の違いだけのような気もしてきました。

なので、自分が一番信じて、丸投げしやすい名前の相手に丸投げをしては

いかがでしょうか。

聖霊がしっくりくる方は聖霊に、宇宙がよければ宇宙に、ちょっとスピ系は・・・という方は、潜在意識に、神様がしっくりくるなら神様に。

思考をとめるのも、この丸投げという行為をする一環のように感じられます。

名前は沢山あれど、目には見えない“大いなる何か”を信頼し、丸投げできるようにと。

普段の思考の数が多い方ほど、丸投げには難儀するのかもしれません。

『思考をとめる』は、ある意味で初期段階の“強制丸投げ練習装置”と言えると思います。

自分もやっていて、良い練習になっていると感じております。

2022.6.10 vol.5 思考を掴むべからず。

思考は、気づくといつの間にか、どこからともなくアタマの中に勝手に入ってきています。

それ自体を止めたいのですが・・・。

これを抑え込もうとすると、思考の原因やどこからきているのかを探求しようと、思考をすることになってしまい、本末転倒に・・・笑

思考をとめるのに、思考する原因を作るわけにはいかない。思考はただ流して、掴んではいけない・・・。

そうだ!掴まなければいいのだ (;゜Д゜)

そうだ、そうだ!!

謎を解こうと思考を掴んでアタマの中にとどめようとするから、そこから更なる“それ”に対する思考が広がってしまうのだ。

回転寿司で食べない寿司を、右から左へ興味なく流すが如く

ふいに自分のアタマに入ってきた思考も、右から左へと流し、アタマの外に出してやれば良いのだ。

興味を示されなかった思考は、静かに消えてく。

しかし、ここまで思考しないことを生業にしていくと、自分が自分の意志がない廃人になってしまうのでは?と少々不安になってきてしまいます。

私は、考えないと何も行動できないと思っていました。

ところが、思考しなくても、自動的に仕事もできましたし、行動も起こせたのです。

私の小さな思考だけでは理解できない、もっと大きな存在による自動運転システムみたいなものがあるのかもしれない。と感じるようになりました。

考えなくとも、日常生活は普通に行えるようです。

思考とは、理解しようという行動なのかもしれません。

なぜ自分なりの理解をしたいのか。

判断を下して、解ったつもりになることが、気持ちが良いことだからなのでしょう。

そして、理解できないことや、解らないということをとても不安に感じ、イライラするのです。

昔、奇跡講座という本に、『真実は何も解らないのだ』みたいなことを言われ、勝手にバカにされた感覚になり、怒りを感じたことを鮮明に思い出されます 笑

こうやって自分の思考をとめることで、自ずと全てのモノに対し、自分の個人的な判断を下さなくなります。

思考しないと判断というものは出来ませんから 笑

2022.6.13 vol.6『思考と食』について。

現実世界なるものに対しては、深刻�になり過ぎず、どこか茶化すくらいが丁度いいのかな?と、最近つくづく思います。

身体の余計な力みを取ってくれて、心にゆとりを与えてくれます。

今日は、ちょっと『思考と食』について、語らせて頂こうかと思っております。

『思考と食』に何の関係が?と多くの方は思われるかもしれません。

おそらくその方の気質などにより、個人差がある案件だと思います。

朝起きた時や、夜寝る時など理由も解らず。

数十分から数時間不安に襲われ、マイナス思考が連続することが、私にはありました。

前の日の夜はあんなに、気分良く寝られたのに・・・。

なにが問題なのだ。と

その日その日で変わりゆくあらぶる感情に、手の出しようがない日があり、解決策も見当たらずに、指をくわえるだけの日々でした。

ですが、ある時ふと、食べ過ぎて胃腸の調子が悪かったり、消化に苦戦したりしている時に、自分が嫌がる思考が増えていることに気づきました。

許せないという思いをした過去や、こうはなりたくないと、不安になる未来の自分の姿を繰り返し思考しては、自分にイヤな思いをさせ続けるのです。

世に言う、反芻思考ですね(;゜Д゜)

思考とは、過去か未来の自分を空想することです。

ただ、今の私は元祖1式中により、“思考をとめようとする以外の       全ての思考をとめる“を実施中なので、思考は掴めません。

ですから、基本的に反芻思考はできないのです。

思考は、掴まなければ(注意を向けなければ)、もともと実態がないので確実に消えていきます。

もし、今、まさに反芻思考でお悩みの方がいらっしゃったら、元祖1式はおススメ商品といえるでしょうね(^▽^)

昔から腹八分目といいますが、これは身体だけでなく、心の健康を保つのに役立つことのようです。

私としては、食べたいものを我慢するのではなく、その時一番食べたいものを自分に食べさせてあげて、食べる量だけを少し減らす。をおススメしたいところです。

思考することをやめれば、完璧な潜在意識(宇宙・聖霊・源)が、一番良いものを常に自分に与えてくれるはずです。

2022.6.15 Vol.7 潜在意識が見ている世界を見る。

顕在意識の思考はもう使わない・・・。

顕在�意識の思考はもう使わない・・・。

顕在意識の思考は、もう使わない・・・(;^ω^)

そう、覚悟を決め元祖1式を継続しておりますが、絶えず私のアタマに訪ねてくる思考たちに、『おそれいりますが、私は顕在意識の思考は、もう使わないと決めたので』と扉の前でお引き取り願う日々を送っております 笑

きっと、今の状態が、顕在意識のしあわせの限界なのだ。と認識すると、顕在意識で思考し、現れる現実には、ほとほと興味がなくなるはずなのですが・・・。

残りの人生は、顕在意識では見ることができない、潜在意識で眺める世界を楽しみながら、私は、遊び尽くしていこうと思う。

正直なところ・・・まだ、顕在意識で思考しないことに、苦労していますね。まっ、まだ初めて1週間くらいですから、当然のような気もしますが。

それでも、癖で思考してしまったあとに、顕在意識の狭い範囲の見方をしている。潜在意識の“違う見方”で見てみたい。と思えるようになってはきています。

常識や世間体教育といった、狭く堅苦しい、小さな頭脳から抜け出し、無限に広がる柔軟でどこまでも見通せる『大いなる頭脳』の方を選ぶ。

う~む、しかしこれって・・・随分前にやっていた奇跡講座の内容だな

まさか、ここで回収することになるとは・・・奥深い話だ。

あの当時の自分では、自分の見方は全部間違っているから、全てを聖霊(潜在意識)に尋ねなさい。と奇跡講座の本に言われても、自分を真っ向から全否定されていると受取り、とても受け入れがたく感じたものですが。

元祖1式を継続している中で、潜在意識では、どんな楽しい見方が出来るのだろうと、思えるま�でに変わってきています。

しかし、変われば変わるものですね(^▽^)

あの当時より自分との仲も良くなれてきているので、『自分により良いしあわせを与えてあげたい』という感覚が強くなったのでしょう。

さて、もう風の時代です。

常識や世間体、教育や刷り込みにより、好き好んで何重にもかけてきた色眼鏡を、本気で外しにかかる時が来たようです。

アタマも身体もより柔軟にリラックスして参りましょう。

2022.6.17 Vol.8 完全自動強制不足システムと、完全自動強制幸福システムの辿りつく場所。

元祖1式を簡単に説明させて頂くと

“思考をとめようとする以外の全ての思考をとめる“

思考をとめる為に、自分にあったアファメーションをひたすら唱える。

潜在意識に絶対の信頼をおき望みや願いすらも、完璧な潜在意識に委ねる。

そうすることで・・・・

完全自動強制幸福システムが発動し、あなたの条件通りかどうかは知りませんが、強制的にしあわせになってしまう。

というものです。幸福感のみを享受する。とは最高か!!

『このあなたの条件通りかどうかは』の部分は、それぞれの狭い顕在意識で考えうる望みや願いのことだと思っています。

そして、潜在意識の“完全自動強制幸福システム”で叶う望みは、沢山の色眼鏡によって、表面では見えなくなってしまった潜在意識の奥底に沈んだ自分の本当の望みということでしょう。

もしかすると、このブログを読んで、元祖1式に興味をもち、はじめていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

一緒に頑張ってまいりましょう。

元祖1式を本気でやり始めると、次の瞬間には

“思考をとめようとする以外の全ての思考をとめる“

という単純明快なことが、なぜこんなにも難しいのかと、思われると思います。

勿論、中にはすんなりいく方も、中にはいらっしゃるとは思いますが。

正直なところ、私にはとても難しく感じました。

なにせ、表面ではまったく気づかずに、色眼鏡をかけて発動する“完全自動強制不足システム”を、長年にわたり採用させて頂いておりましたので・・・。

目にしたものを一方的に判断し、解釈して不足にフォーカスする。

不足にフォーカスをすることで、足りない、足りない。と満たしたい望みや願いが叶うまでしあわせになれない。と執着する。

アタマの中で勝手に流れている、過去にあったイヤな出来事の映像に激怒し、未来のこうなったらイヤだと思う映像に不安になり怯える。

実際に起きてもいないのに、どうにかそれを回避しようと、あれこれと思考巡らせますが、所詮はアタマの中の映像ですから解決はせず。

不安や不満、怒りといった感情だけが残されます。

まるで真逆のこの二つの完全自動システム・・・・。

思考(判断)をしないことで、

“大いなる何か”を味方につけた完全自動強制幸福システムを

発動させるのか。

はたまた、判断し『正しさ』を証明することで得る一時の快楽を楽しむ為に完全自動強制不足システムを採用するのか。

今、自分がおかれている現実が、満たされないのものならば、これを良い機会にして頂き、置き換えようとしても良いのではないでしょうか。

引き寄せの法則や宇宙の法則、でもお馴染みですが、不足で始まったものは不足で終わり。

満足から始まったものは、満足に終わる。という�ことですね。

2022.6.20 Vol.9 のんびりいこうよ。

元祖1式・・・

“思考をとめようとする以外の全ての思考をとめる“

願望すらも完璧な潜在意識に丸投げする。

出来ているような・・・出来ていないような・・・。

思考をとめることに専念しだしたら、マイナス思考の多さにため息がでてしまいます。

自分を責めたり、批判したりと忙しい。

批判?ちょっと違うような・・・どちらかというと、世間体に沿っているかの秤にかけている。と言った方がスッキリくるような気がします。

とめる思考の中には、こういった、自分を貶める思考も入るので、それらの思考に囚われることが減り、自己否定は減ると思います。

自分の思考で、そんな風にはなりたくないと不安になり、それが、アタマの中の空想だということを忘れ、何とか回避しようと焦る。

『この世は自作自演』とはよく言ったものです。

私の焦りに、外側世界は関係ないとはね。

とある瞬間に、無意識に思考し、不安を感じ焦りそうになっても、『あっ、私が考えるのを止めれば完璧な潜在意識がいつも一番良いものを常に私に与えてくれるのだった』とサッと我にかえしてもらえます(笑)

完璧な潜在意識が与えてくれる、一番良い完璧なタイミングを、空想でしかない思考に、不安を感じ焦って行動することで手放すなんてもったいない。

焦ったところで、完璧は手に入らいない。

手に入らないのなら、焦る必要もなかろうて。

のんびりいこうよ。

2022.6.21 Vol.10 自由に漂う。

思考をとめる。ただ、それだけのことが、沢山の気づきと新しい世界の見方を提案してくれることに驚く日々です。

今まで、自分を正当化する思考がとても多かった。

アタマの中で、現実で・・・

誰かを責めるのは、いつも自分を守る為。

自分が責められないように、変わりに誰かを責めていた。

顕在意識の思考を使い、誰かのせいだという根拠を連ねていく。

自分を正当化したかったのだ。

自分が正しい。と思うことで、安心したかったのだ。

思考をとめようと試み続けると、今までとは違う角度から自分と接することになります。

違う角度からみると、初めて知ることだらけです。

宇宙と同じように、自分もまた無限で謎に満ちている。と感じます。

新しい自分を発見しても、思考をとめているので、自分はこんな人で。と

綺麗に四角い箱に収め新たに自分の定義を増やすことはありません。

そのまま、形もとどめず、自由に漂わせる( ´∀` )

顕在意識で出来る定義なんて、どうせたいしたことないですし、狭い範囲だけの答えですから。

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