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短歌が僕を自由にしてくれる。 『抒情の奇妙な冒険』 笹公人(著)
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君は自由だよと、もしも誰かに云われたら、僕は疑うだろう。
トリックスターに成りたいわけじゃない。
寿司屋に行きたいわけでもない。
もう、そんな金はどこにもないんだ。
中国人が経営している中華料理屋さんが近くにあって、
僕はそこの常連だ。
いちねんに一回か二回行けば、僕としては常連なのだ。
それを十年続けていれば。
誰かが僕を「操作」するかも知れない。
誰かがうしろで操ろうとしているのだろう。
放課後に、先生に、呼び出された。
大丈夫。大丈夫。
きっと明日も、いけないひとの事を思い出してしまうんだろう。
行けば行ったで地獄だし、戻れば戻ったで、これまた地獄。
選ばなかった事を選んだ自分への報いとして。
回る因果の糸車。
今更ながら生きているだけで罪を背負っていることを、思う。
今頃どうしていらっしゃるかしら、何てなことを思ってしまふ。
カロリー高めの昼食のことを、考えながら。
短歌という表現は案外自由だな、って考える。
言葉の数に制限はあれど、裏を返せばそれを念頭に置いておけば何を歌ってもいいわけだから。
そして時にはその言葉の数を無視したりして。
字余り/字足らずを駆使して、ギリギリのリズム感だけにすがりついている、その姿勢に魂が震えることもある。
短歌という芸を考えた人は素晴らしいセンスの持ち主だ。
もしかしたらそれは神様かもしれない。
日本特有の神様。
日本語でいちばん有効性のある詩芸をつくった人。
そんな伝統芸にいつでも私たちは触れることが出来る。
深掘りして、研究したりも出来る。
酒を呑んだってかまいはしない。
意識が朦朧とするなかで出会える短歌も、これまた素敵な筈だ。
生きていてもいいよ、と思わせてくれるのだ。
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