その日の後刻に グレイス・ペイリー 村上春樹(訳)  本25 2021-6

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 はじめてグレイス・ペイリーの作品を読んだときの衝撃は忘れない。
 なんじゃこれ、と思った。
 「モンキー」ではじめて読んだのだが、柴田元幸さんも云っておられたとおり、いま読んでいる一行と次の一行の展開の予想がまったくつかないのだ。ずっと驚いたまま読み進めたのを記憶している。

 その後、彼女の作品集をぽつらぽつらと読み始めた。「最後の瞬間のすごく大きな変化」や「人生のちょっとした煩い」を。そのどれもが見事にグレイス・ペイリーだった。そういう意味では裏切りのない、一貫したスタイルを持った作家であるように僕には思える。
 しかし、書いてある内容がしばしば意味不明なところがある。
 僕の理解をはるかに超えて、場面や話している人物、物語自体がどこにあるのか判然としない状況に見舞われてしまう。政治の色も所々に見える。
 けれどいち文学として、そしていち女流作家の短編小説として、さらっと見過ごせない「何か」に惹かれる。
 それはほとんど麻薬に近いもののような気がする。クセになるというか。
 訳しているのが村上春樹であるというのも大きいだろう。
 彼女はすでに鬼籍に入っているから、もう新作を読むことが出来ないが、それでも過去の作品を何度もくり返し読むことに、じゅうぶんな価値があると思う。
 むしろ何度もくり返し読まないと理解出来ないところもあるし、たとえ読んだとしてもある種の謎は残ったまんまかもしれない。そういったところも含めてグレイス・ペイリーという作家とその作品はとても稀有なのだと個人的には思う。

 最後にひとつ云わせていただければ、グレイス・ペイリーという人は、恐れを知らない真っ直ぐな人なのではないかと、個人的には思う。
 たとえば物語が、展開が、この文章が、ひとびとに理解されないのではないか、という恐れや疑いを、この人は軽く吹き払っているように感じるからである。
 自分の感性や考えに、真っ直ぐ向き合っているように思えるのである。それは回りを見ない、という事では決してない。絶対的な自分の世界があるという安心感にむしろ読み手としては安堵を覚えるくらいだ。そのへんにきっとグレイス・ペイリーという作家の魅力の鍵があるのではないだろうか。

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