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どこまで『先のこと』を考えて生きるのか

◼️『将来のために』頑張りなさいと言われ続けてきた

小さい頃から多くの人が「なんで勉強するの??」という質問をいろんな大人に投げかけてきたのではないだろうか?おぼろげながらに僕もそんな疑問を抱いた記憶がある

その度に多くの大人は『将来のためだよ』と答えてきたのではないだろうか

いい加減いい大人になってきた僕(35才)がそんなことをふと思い出すようになったのは、生徒のみんなに進路の話をするときに同じようにその生徒の『未来』のことを考えながら話している自分に気が付いた時だった

『あぁ、あの時「将来のために勉強しなさい」と僕に言ってきた大人は僕の未来を見ていたのか』と

◼️大人はどこまでの『未来』を想定しているのか

大人の言う『将来のために』はどこまでを想定しているのか
これはもちろん人によって範囲は様々だと思うが、親や先生のほとんどが『社会に出る時の選択肢を増やす』ことに軸足を置いてアドバイスをしているように思う

それにはおそらくだけど、アドバイスするほとんどの人に『叶えたいことがある訳ではない』という思い込みや前提があるのだと思う
だから『将来』その子が社会に出る瞬間に、その時の自分が少しでもやりたいことを選べるようなアドバイスを送るのだと思う
事実、僕がこれまでであってきた生徒の中に何がなんでもこの職に就きたいと明言できている生徒は数える程だったと思う

世の中は大別すると

①何がなんでも叶えたいことがある人
②特に叶えたいことはない人

に別れるのかもしれない
そして、『将来のために勉強しなさい』は大勢の『特に叶えたいことがない人』に向けたアドバイスなんだろう

◼️『叶えたいことがあること』は幸せか

これはどちらとも言えない
叶えたいことが叶わないという可能性も同時に発生する訳だから
いい意味でも悪い意味でも叶えたいことがある人の方が喜びも悲しみも相対的に大きく幅があると思う

叶えたいことがあることの良さは、目的が明確になるので頑張れること
もし叶わなくても成長できるし、その過程で新たな叶えたいことに出会える可能性も高まることが大きいと思う

叶えたいことが叶った瞬間の祝福は、叶えたいことがある人にしか訪れないので、個人的には叶えたいことがある人生に憧れてきた
大学出てから踠いて踠いて、たまたま出会った僕の小さな『叶えたいこと』は出会った時より、もう少しだけ広がりながら今も『叶えたいこと』であり続けている

◼️『叶えたいこと』に出会う確率を上げる

先に書いた叶えたいことの有無は生まれ持ったものなのだろうか?
分からないがそのほとんどは後天的に持ったものが多いはず
僕も後天的に叶えたいことに出会った
じゃあその叶えたいこととの出会いは運で決まるものなのだろうか?

おそらく『運』で決まる

と思うけれど、叶えたいことと出会う確率は『人生の選択』によって大きく変動すると思う

『あの時〇〇と出会ってなかったら』
『あの時〇〇を始めてなかったら』
『あの時〇〇にいなかったら』

人やコトや場所との出会いで人生は確実に変わる
大人は経験上それを知っている
だからその確率を少しでもいい方向へ変動させるために勉強を促すこともあるのだろう

狭い世界から広い世界へ進んだ方が新しい何かに出会う可能性は膨らむはず

◼️どこまで『先のこと』を考えて『今』を生きるのか

とりとめなくいろんなことを書いてしまったが、僕は自分の可能性を広げながら叶えたいことに出会うための人生を過ごしている

人によって幸せに感じることは違う
だから自分の人生のことは自分で考えるしかない

大人は良かれと思っていろいろといろんなアドバイスをする

『叶えたいことがある人』はほとんどのアドバイスを無視して突っ走ればいいと思う

この文章は多分まだ『叶えたいことと出会えていない人』に向けて書いているのかもしれない
これも大いなるお節介だろうけどあえて言葉にしたくて書いている

今現在が最高に幸せな人はきっと今の人生が最高の選択の上で成り立っていると思う
だけど、もし今の人生が退屈だったり、漠然とモヤモヤしているのであればそれはいち早く何か行動した方がいい
自分がやった方がいいと思うことであればどんなことでもいいからやった方がいい

考えないといけない『先のこと』は残念がら明確ではない
だけどそう遠くもない未来なんだと思う

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