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”ご機嫌”は礼儀? 育児の限界からわが家を救った「ヒマなおじさん政策」

 ここ3年ほどの間、火曜日と木曜日をパパの日にして、週3日勤務で仕事をなんとかまわしてきた。子どもとの時間を持つ豊かな生活ということで、自分でも誇りを持っていたし、1人で仕事を抱え込まずにまわりの人と仕事を分かち合いながら、収入も少しだけど増えていた。

 パパとしてもビジネスパーソンとしてもそれでうまくいっていたので、これをしばらく続けていくんだろうな、と思っていた。いつか週3日勤務が週4日勤務になる日がくるとすれば、それは「仕事が増えた」「新規事業を始める」などポジティブでアグレッシブな理由になるのだろう、という漠然とした見通しもあった。

 しかし、現実はそうじゃなかった。週3日から週4日勤務へのシフトは、あるときまったく別の理由から訪れることになった(写真:三浦咲恵)。

毎朝5時起きで不機嫌が充満

 現在、娘は3歳10カ月、息子は1歳10カ月。年上の友人曰く、「今が子育てでいちばん体力的にきついとき」だ。娘もまだまだ手がかかるうえ、下の子は「世界ふしぎ発見期」にあり、歩くわ上るわ、棚を開けるわ、壁に落書きするわ…… もうひとときも目が離せない。男女の違いか個人差なのか、下の子はアクティブすぎて夫婦ともに疲弊してしまう。

 そしてなによりも大変なのが、息子が毎朝5時に起きること。理由は分からないけれど、夜中2時、3時に1回起きても、朝5時になるとまた起きる。もう拷問を受けているような毎日なのだ。

 起きた後は息子にテレビを見せながら自分はソファに寝転がってみたりもするが、それも長続きはしない。音の出るオモチャで遊びだしたり、お腹が空いて泣き出したり…… 上の子が起きないかどうかやきもきしながら対応する。もう眠いわ、気を使うわ、大変な状況だ。

 はじめのうちは夫婦で5時起きと6時起きの一時間交代のシフトを組んでみたりもしたが、そんなに毎日きっちりシフトを分けられるわけでもない。

 そのうちシフトも崩れ始め、早く起きたほうが相手にイライラをぶつけるようになる。かといって、昼寝をするのも口惜しい。子どもが保育園に行っている間は「自分の時間」とばかり、めいっぱい仕事や自己実現に使いたくなってしまうものだ。

 そんなこんなで2~3週間そういう時間が過ぎると、だんだん家に不機嫌が充満してきた。いよいよ夫婦仲もピリピリし始め、精神的にも肉体的にも限界に……。それで結局、子どもたちを週4日、保育園に預けることにした。

余った時間は「ヒマなおじさん」に

 週4日勤務にした結果、生活は劇的にラクになった。これまで週3日でこなしていた仕事を週4日の午前中で回せるようになったので、週4平日の午後は余るようになった。

 この余剰時間に仕事を増やしたり、勉強したり…… といった選択肢もあったのだが、僕はあえてそれを止めようと思った。名づけて「ヒマなおじさん政策」。この政策の目的は、とにかく「ご機嫌でいること」。相変わらず子どもの5時起きは変わらないのだが、余った1日分の時間は仕事で埋めずに、からだを休め、鋭気を養うことにした。

 やってみたところ、自分の時間を過ごし、ダラダラもしたうえで、それでもさらに時間は余る。そこでようやく自分だけではない、家の中の「不機嫌の要因」を取り除いていこうという気になってくる。

 例えば、散らかった部屋や床のほこり。これまでは不機嫌な中で仕事という負荷がかかって取り組めず、それが積もり積もって「生活をさぼっている自分」に対する嫌悪感が生まれ、さらに不機嫌を生み出すという負のスパイラルに陥っていたが、それに取り組める余裕も出てきた。

「不機嫌くみ取り器」と化す

 掃除、洗濯、料理などを積極的にやるようになると、今度はパートナーへの思いやりも生まれてくる。

 ランチを作ることについても、これまでは9割方、妻に頼っていたことに気づく。夕飯の献立を考えるのも、スーパーに買い出しに行くのも、実は妻に頼りっぱなしだった。自分でやってみると、子どもの好き嫌いや、冷蔵庫に余っている食材などを考えながら計画しなければならず、かなり頭の痛い作業だということにも気づく。

 家事はつくづく、家の仕事全部を俯瞰したうえで役割分担しないと、相手の気持ちや状況を理解することはできないなあ、と思う。

 「調味料やお皿がたくさんあるのに、キッチンの収納が足りない」とか「観葉植物の鉢の植え替えが必要」など、前々から妻が気になってため息交じりで言葉にしていたことも、「ヒマなおじさん」になってようやく受け止められるようになった。

 余った時間でイケアの家具を組み立てて、キッチンに収納スペースを作ったり、1時間ぐらいかけてベランダで鉢植えの入れ替えをしたり…… これまで置き去りになっていた不機嫌の要因を取り除く「不機嫌くみ取り器」と化したのだ。

 こうやって部屋のレイアウトなど小さな改善が積まれていくと、生活はていねいになり、心が穏やかになってくる。家の中に少しずつだがご機嫌な空気が流れ始めた。

窓際のおじさんは実は尊い?

 本音を言うと、今まで僕は「ヒマなおじさんはかわいそうだ」と思っていた。ヒマがあるなら、自己実現とか、新しい事業をつくるとか、新しいスキルを求めるとか、ネットワークをつくるとか、楽しいし儲かることをやればいいのに…… と。

 だけど、自分が「ヒマなおじさん」になってみた今、「ヒマなおじさんは実は、ただそこにいるだけで価値を発揮していたんだ」と思える。

 ヒマなおじさんは例えば、ビジネスをやりたい人の話し相手になれる。仕事をガツガツやっている人は雑談の価値に気づけなかったりするし、生産性を重視するばかりにふわっとしたアイデアを何気なく話すような機会もなかなかない。しかし、身近にヒマな人がいると、それを話したくもなってくる。

 ヒマなおじさんは仕事相手にもご機嫌を提供できるかもしれない。ライターさんがなにか疑問があるとき、質問しやすいかもしれないし、クライアントも漠然とした相談をしたくなるかもしれない。それはめぐりめぐって、一緒に取り組む新しい仕事につながることもある。

 だから会社でも、窓際でヒマにしているようなおじさんだって、実はそこにいるだけで尊いのだ。彼らは間接的にほかの人のビジネスづくりを助けているかもしれないし、みんなにご機嫌を提供して穏やかな雰囲気をつくりだしているのかもしれない。

 社会全体でみれば、子どもの面倒を見てくれたり、地域のボランティア活動を担ったりしている「ジジババ」の価値だって計り知れない。時間が余っているヒマな彼らが年間で生み出す経済価値は、膨大な額に上るのではないだろうか。

 考えてみれば、イケアの家具組み立てだって、イケアのスタッフにお願いすればそれなりの料金がかかる。それをヒマなおじさんが引き受けるだけで、一定の価値は生まれているのだ。

「ご機嫌」はお金よりも価値がある

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 考えてみれば、「生活を楽しむ」「穏やかでいる」「ご機嫌でいる」ということは、仕事の大前提。そして、金銭よりも価値のあることだ。逆に、誰かが不機嫌になることと引き換えに生み出されたもの、その経済価値には、どれほどの意味があるのだろうか?

 まずは自分のやりたいことをやって、自分が心地よいと思う家にして、生活を穏やかにする。そのうえで稼げるといいね、という順番なんだな…… と、ヒマなおじさんになってあらためて分かった。稼げるかどうかよりも、ご機嫌でいることのほうが大事。ご機嫌であることは、まわりの人への礼儀だ。

 ご機嫌はそれこそ、子育ての前提でもあるが、ご機嫌でいるためにはヒマでなければならない。ヒマでいるということは「なにもしない」ということ。その「なにもしない」をするには、なにかを止めなければならない。「ヒマでいること」はある意味、意思決定が必要なタスクなのだ。

 「ワーク・ライフバランス」を模索する人に、僕はこれから、こうアドバイスしたい。「さあ、ヒマなおじさんになろう!」

編集者/Livit代表 岡徳之
2009年慶應義塾大学経済学部を卒業後、PR会社に入社。2011年に独立し、ライターとしてのキャリアを歩み始める。その後、記事執筆の分野をビジネス、テクノロジー、マーケティングへと広げ、企業のオウンドメディア運営にも従事。2013年シンガポールに進出。事業拡大にともない、専属ライターの採用、海外在住ライターのネットワーキングを開始。2015年オランダに進出。現在はアムステルダムを拠点に活動。これまで「東洋経済オンライン」や「NewsPicks」など有力メディア約30媒体で連載を担当。共著に『ミレニアル・Z世代の「新」価値観』『フューチャーリテール ~欧米の最新事例から紐解く、未来の小売体験~』。ポッドキャスト『グローバル・インサイト』『海外移住家族の夫婦会議』。
構成:山本直子
フリーランスライター。慶應義塾大学文学部卒業後、シンクタンクで証券アナリストとして勤務。その後、日本、中国、マレーシア、シンガポールで経済記者を経て、2004年よりオランダ在住。現在はオランダの生活・経済情報やヨーロッパのITトレンドを雑誌やネットで紹介するほか、北ブラバント州政府のアドバイザーとして、日本とオランダの企業を結ぶ仲介役を務める。

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