仮 笙の窟から江ノ島へ巡礼の旅 4
1,翌朝に見た富士山の景色
本日は、実朝公の首塚からスタートです。
宿泊した宿からみる富士山が見えました。
現地で見る富士山は絶景ですね。
実物を見ることは素晴らしく、とても気持ちが良いものです。
昨日の疲れからが一気にきましたが、最後までやり遂げます。
2,実朝の首塚
ようやく、実朝の首塚に到着しました。
意外にも、首塚の周りは田んぼだらけで
静かな場所にありました。
首塚の近くには、公園などがあり、
近隣の人たちが、ゲートボールを楽しんでいて、
なんとものどかな風景です。
説明看板を簡単に要約すると・・・
1219年1月27日、鎌倉幕府3代将軍源実朝は、鶴岡八幡宮への参拝を終え、
階段を下りている途中で、甥の公暁に暗殺されました。
公暁は実朝の御首を持ち、三浦義村に逃走しましたが、北条氏から公暁追討の命を受けた義村の家臣によって殺害されました。
以降、実朝の首は行方不明となり、首なしのまま勝長寿院に葬られました。
武常晴は、三浦氏が公暁を討つために送り込んだ家臣の一人であり、公暁との戦いの中で偶然実朝の御首を手に入れました。
その後、何らかの理由から御首を三浦氏に返さず、三浦氏と対立していた波多野氏を頼って埋葬したと伝えられています。
その後、実朝に帰依する波多野忠綱は、僧の退耕行勇を招いて、御首塚の近くに金剛寺を建立し、供養しました。
その際、御首塚の五輪塔を木造から石造に変えたと言われています。
現在、御首塚を飾っていた五輪木塔は、鎌倉国宝館に収蔵されています。
(・・・説明解説はここまで)
首塚を出発する際、
ある老夫婦が私に実朝の首塚のことを話してくれました。
彼らは幼い頃から代々受け継がれた話を聞いてきたそうです。
彼らの語りを聞きながら、首塚のそばにある木の上で、
カラスの鳴き声が来ました。
ふと、木の上を見上げるとカラス巣を作っていて、
のどかな光景です。
それとは反対に、このような静かな場所に首塚があるなんて、
誰も思わないでしょうね。
そう思いながら、老夫婦の会話に耳を傾けていました。
さて、会話を終えて、金剛寺に向かうことにしました。
ありがたくも老夫婦の親切に、
金剛寺の近くまで案内をしてもらい
その場で感謝の言葉を言って、お別れになりました。
3、実朝の菩提寺 金剛寺
朝が早いせいか、
金剛寺の本堂もは開いておらず、
誰もいませんでした。
お寺にあるお墓には、近隣のひとでしょうか?
お花を持って、お墓の掃除をしていました。
その後、お寺をあとにして、
いよいよ鎌倉へと向かいます。
ちょうど時計を見ると、10時を回っていました。
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