エッセイ モチベーションは上がるものなのか、上げるものなのか?
「モチベーションが上がらない」とか「○〇のせいでモチベーションが下がった」とかいう言葉を時々耳にする。それを聞くたびに私は違和感を覚える。私にとって、モチベーションは誰かに上げてもらったり、何かのせいで下がったりするものではなく、自分で上げるものだと考えるからだ。私の性格、好みが他人とは大きく違っていて、自分でモチベーションを上げるしか、他に方法がないからかもしれないが、私はずっとそう思ってきた。気分が落ち込んだ時や、やる気の出ない時、どうしたら自分をシャキッとさせられるか、自分でその答えを探すということを当たり前の習慣としてきた。
今、私のモチベーションは大きく下がっている。内職のやりすぎで頭が機械に近づいてきている。頭の中でゴム紐を切り続けている。(チャップリンの「モダンタイムス」を思い出している)記事を書く気が起こらない。時間がある、ないの問題ではない。私は今、自分を奮い立たせてこの記事を書いている。モチベーションを上げるために「どうしたらモチベーションが上げられるか」をテーマにして。
そういう時のためにこそ、私は例の座標軸を作ったとも言える。自分が今、どういう状況にいて、どこを目指したいのか、そのためには何をしたらいいのか、客観的に眺められるようにするための手段として、あの座標軸はある。
今私は記事を書こうとしている。書かないと忘れられてしまうからだ。(笑)しかし、私が本当にやりたいことはそれではない。私にとってのテーマは「日本人と自由」であったはずだ。明治以降、日本人は「自由」という思想といかに向かい合い、格闘してきたか、そして現代の日本人はそれをどこまで理解し、自分たちの中に取り込んできたか。その舞台として私が選びだしたのが、大正時代から昭和初期の時代であり、1970年代から1990年代の時代だったはずである。であるなら、私は自分自身をその時代に置き、自分自身で主体的に動き、考えられるように材料を集め、分析し、再構築を図らなくてはならない。それが、私が一番モチベーションを上げられることなのである。その目的のために本を読み、ネットで検索し、テーマに即した映画を見、歴史を探索する。そしてそれを小説という形に昇華させる。そのことを忘れずに、常に軌道修正をしなければならない。
さあ、そろそろモチベーションが上がってきたかな?でもまだ内職は明日も続く・・・。
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