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★エッセイ集 視座

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エッセイを集めました。
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2024年2月の記事一覧

エッセイ 俯瞰的視座

 きょうは2月26日。やはり2・26事件のことを書かねばなるまい。事件そのものに詳しいわけでは全然ない。その歴史的な意味に重要性を感じているのだ。  組織の力とか、集団の力というものはあると思う。一人ではできないことが集団ならできる。集団として、個人の力を結集させて、一つの方向に向かっていけば、大きなことができるだろう。ただ、それは向かっていく方向が正しいければ、の話だ。結果的に良くない方向に向かってしまったのが2・26事件だと思う。問題は、「正しい方向」がどちらか、というこ

エッセイ 3月3日は何の日?(改題)

 サトウハチロー作詞の『うれしいひなまつり』が好きです。特に3番。 「金の屏風にうつるひを かすかにゆする 春の風 少し白酒めされたか 赤いお顔の 右大臣」 金の屏風、揺れる炎、白酒、赤い顔と色彩豊かでいかにも女の子のおまつりという感じがします。いま、「女の子のおまつり」と言いましたが、ちょっと待てよと思いました。  なぜ、ひなまつりが女の子のおまつりなのでしょう。「お内裏様にお雛様」(サトウハチローのこの用語は間違いらしいですが、ここでは触れません)って言っているんだからこ

エッセイ 私流読書法~相手の立ち位置を知ってから読む~

 私は本を読むとき、特に評論を読む前には、必ずすることがある。それは、筆者の経歴を知ることだ。どういう傾向の考えの持ち主かを知るためだ。性格(血液型)は簡単にはわからないから、その人の経歴から、どういうことを勉強してきて、どういう仕事をしているのかをネットも使って調べる。これを先入観という人もいるだろう。しかし、そういう予備知識なしに無防備に読み出すと、特に読書にあまり慣れていない人が読むと、とんでもない方向に連れて行かれることがある。  ある自己啓発書を読んだ時だ。書いてあ

エッセイ 青春の門~数学0点作戦~

 今から50年も前の3月のことである。確か3月の1、2、3日と大学の入試があったと記憶している。一応、国立大学を受けたものだから、文科系でも数学と理科も受けなければならない。私は数学が大の苦手である。どれだけ時間を費やしても効果がないことがわかったから、高3の時に数学の受験勉強をするのをやめた。もう数学は0点でいい。他の科目で稼げばいい。合格ラインの点数に到達するためには、それぞれの科目で何点とればいいのかを計算した。何とかなるだろうと思った。  試験当日となった。数学は最終

エッセイ わが青春の深夜放送

「深夜放送」と聞いて若い人は何を想像するだろうか。「ラジオの深夜放送」と言ってもいい。「深夜にやっているラジオの放送」では正解とは言い難い。「深夜放送」とは我が青春時代に、主にミュージシャンがディスクジョッキーを務めていた若者向けの長時間のラジオ番組のことである。全盛期は1970~1980年代ではなかろうか。私は主に高校時代(1972~1974)にお世話になった。深夜放送が当時の若者に受けた理由を考えてみた。 ① 当時はテレビの深夜放送がなかった。12時ぐらいで放送は

エッセイ 自分自身を見つめて

 吉田拓郎のファンで『我が良き友よ』を紹介したりしましたが、彼は、ラジオなどを聞くと(中島みゆきもそうですが)すごく饒舌で、面白いんですね。だけど歌う歌は暗いものが多い。特に初期のものは『自殺の詩』とか『どうしてこんなに悲しいんだろう』とか『人間なんて』『たどりついたらいつも雨ふり』と、暗い歌が多いです。自分の悩みを正直にストレートに歌っている。それによって、彼自身もストレスの発散になっていただろうし、聴いている私も自分の代弁者のような気がして嬉しく思ったものです。しかし、私

エッセイ こころ優しき摩擦人間たちへ

 文学者は変人です。変人なるがゆえに、この世に生きていく上で、いろんな摩擦が生じます。ザラザラ、ガリガリと音を立て、時には血も出ます。その血を、心の血を、インクとして作品を書くのが文学者という人間なのです。摩擦解消のために。  そんなものにどんな価値があるのかって本人は思ってしまいますが、それが、案外価値があるのです。摩擦は本当は誰にでも起きるものなんです。普通の人はそれを我慢しているか、あるいは鈍感過ぎて気が付かないだけなのです。  そういう人が文学作品に触れることによって

エッセイ 桜 一輪

 小学校1年の春、つまり小学校に入学してすぐのことだ。さくら祭り写生大会というものがあって(学校だけでなく、市全体の行事として毎年盛大に行われていた)、私たち1年生も絵を描かされた。写生とはいうものの、教室内で描かされた。桜に関する絵といっても、何も思い当たるものがなかったので、少し前に先生に引率されて入学したばかりの校庭を散策した時の絵を描こうと思った。校庭には桜の木もあった。桜の木を5、6本描いて、その下に、先生の後を10人ぐらいの生徒がぞろぞろと歩いている姿を描いた。空

エッセイ AB型の出番です!

 座標軸の記事などで血液型の話をよくしているのに、AB型についてはほとんど言及して来なかった。プロムナードで岸田首相がAB型だという話をしたので、ここで、AB型についての私の個人的見解を述べてみたい。  やはりAB型は基本的にAとBが混ざっているということになるのだと思う。問題はAとBのバランスというか、力関係だと思う。これが人によって違っているから、性格としての現れ方が違ってくるのだと私は考える。  ある人はAもBも強くて、ある時はAがBを押しのけて顔を出し、またある時には

エッセイ 成長という名の旅

 学生は、自分自身という出発点から、学校という乗り物に乗って、成長という名の旅に出る。目的地が決まっている学生もいるかもしれないが、まだはっきり決まっていない学生の方が多いのではないか。小学校、中学校までは、私立に行かない限り、学校を自由に選べない。  学校は目的地を教えてはくれないが、学校の目的は明らかだ。特に公立の小、中学校までは。そもそも学校というところはA型的人間を育てるための、A型的組織なのだ。なぜならA型的秩序尊重人間の方が学校としても扱いやすいし、社会にとって

エッセイ 閉塞的A型組織の限界   ~2・26事件の悲劇~

 たびたび2・26事件のことを書いてきたが、それほど詳しく勉強しているわけではない。ただ気になるのだ。タイトルにもつけたように、あるいは座標軸の記事でも書いたように、あの時代をA型独占の時代と考えた場合に、(以下この前提で話を進めますので、またか、と思われる方はここで読むのをおやめください)2・26事件は陸軍の若手将校が起こしたクーデター未遂事件であり、それがなぜ起きたのか、なぜ未遂に終わったのかを考えていくと、A型の欠点が当然あぶり出されてくる。同じA型の人間として、やはり

エッセイ 古き良き、永遠の友よ

 私は吉田拓郎のファンです。拓郎の歌に『我が良き友よ』(1975年)という異色の歌があります。どこが異色かといえば、この歌は作詞も拓郎ですが、拓郎が自ら作詞した歌には抽象的な歌詞が多い中で、この歌は極めて具体的な歌詞です。大学の先輩の話をモチーフにしたらしいのですが、時代背景もかなり古いです。(1950年前後かと思う)なぜこんな歌を作ったのか、  私なりに考察してみたいと思います。  この歌の鍵になるのは3番。 「男らしさと人が言う お前の顔が目に浮かぶ 力づくだと言いながら

エッセイ 悲しき軍歌(改題)

 昭和31年生まれの私にとっての、最初の戦争の記憶といえば、傷痍軍人だろうか。熱田神宮にお参りに行った時など、駅前とか参道で、義足、義手に白装束で、義捐金を募っていた姿が目に焼き付いている。子ども心には、義手、義足が怖く感じたものだ。  言葉として、最初に戦争を感じたのは、軍歌であったと思う。その当時は戦争映画、戦争漫画がまだ人気があり、それらの主題歌、挿入歌として軍歌が使われたり、懐メロ(懐かしのメロディ)番組などで軍歌が歌われることも多かった。  軍歌などというと眉をひそ

エッセイ 現実と創作とアレンジと

 以前自分が作った歌を、全然違うアレンジで歌うミュージシャンがいます。あるいは他のミュージシャンの歌を、アレンジを変えて歌う人がいます。アレンジだけでなく、当然、声や歌い方も違います。私はそういう曲を聞くのが好きです。オリジナルとはまた違った味が出てくるように思われますし、新しい解釈のようなものが感じられて面白いと思います。オリジナルから離れれば離れるほど面白いのではないでしょうか。ああ、そういう解釈もあったか、なるほど、と唸らせるようなものが出来てくるのは楽しいです。  そ