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noriとnote

「ねぇ、なんでnoriはこんなに掴みどころがないの?」

先日の昼下がり、横浜のラブホテルで情事を貪り終え、汗ばんだ人妻をたぐり寄せ、突起した乳首に吸い付いている時に言われた言葉だ。

「掴みどころがない子供だよ、全く!」
母親に嫌悪感に満ちた表情で吐き捨てるかのように言われた幼少期をふと思い出した。

思えば事あるごとに親、知人、友人あらゆる人に「何考えてんのかわかんない」と言われてきたのだが、当人の私は「どうせお前なんかに俺のことなんか分かられてたまるかよ」って心の中で呟きながら孤高な自分を演じながら生きてきた。

タニンドウシガワカリアエルワケナイ
クルモノコマバズサルモノオワズ
そう自分自身に言い聞かせ、ずっと生きてきた。

ただ今年に入り、Twitter経由で知り合った女性に「掴みどころがない」って言われたことがちょっと数えただけでも6人いた。忘れやすい性分だから本当はもっといたかもしれない。逢った人で今も親交が続いてる人もいれば、残念ながら去ってしまった人もいる。その原因のひとつには、私の態度や行動で無自覚に人を傷つけたり、誤解を与えるようなことがあったんじゃないかと思う。

例えば、最近こんなことがあった。
①先日のクリスマスイブ、Twitterのフォロワーさんにクリスマスツリーを飾った話題を振られ、写真を見せていただいたのだが、飾ったツリーに一瞥もせず、背後のカーテンだけをみて、「いやーすげえいいカーテンよな!」とか言い放って呆れられた。
→(ツリーの感想もなしかよ)
②濃厚なる情事の後に初対面なのにお腹空いたら食べて貰おうと私にわざわざ手作りのサンドイッチを渡してくれた女性がいた。そのツナサンドが思いの外旨く、「何これ、くそうめえな。レシピ教えて!」って騒いだあげく、「今日一番嬉しかった!」と言ってしまう。
→(え、一番がサンドイッチ?)
③海辺の公園で腰掛け、相手は一生懸命身の上話を話してるのに、上の空で、目の前でフリスビーで遊んでいた子供の姿に集中してしまい、その子が誤ってフリスビーを海に落としてしまい、ギャン泣きしてる姿をみて、「人生って過酷よな!」って言って相手の話を置き去りにしてしまう。
→(私の話は?)

こんなエピソード出した後に全然説得力もないのだが、私自身は孤高を演じながらも生々しい人間が大好物だ。上っ面な建前でなく、喜怒哀楽、恨み辛み何でもいいのだが、ドロドロとした剥き出しの感情や特殊な変態性癖でもそこに哲学や思想、考え方に触れると、相手の人間に惹かれずにはいられない。

人と知り合い、仲を深めていく。その過程にはどんな関係性を築く上でも、お互いの意思疎通が不可欠だ。相手を知るには、まず自分をさらけ出さねばならない。自分自身を知ってもらうこと、これは避けて通れない。

先日46歳になった。
もっと私はあなたと深く繋がりたい。
もっと私はあなたと違う世界をみてみたい。

そんな思いを抱きながら、自分とあなたと紡ぐ世界を書いてみたく、noteを始めてみる。

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