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利他と利己 本当に楽な生き方とは…

いろいろな仕事をしたり様々な人と出会ってきた。
そしてそれらに多様な影響を受け、良いも悪いもかなりの経験をしてきた。

僕の若い頃の夢はお金持ちになること。

ただそれだけ。それだけが漠然とした夢だった。
それはなぜか?単純に他人からうらやましがられたかっただけなんだと思う。

僕のウチは父親と祖父が町大工を営んでいた。小さな工務店だ。祖父母も同居していたので幼少期から可愛がられ、小さくも自営業だったため、それなりに裕福に育てられたと思う。

そして僕も成人し、ブラブラするのも気が引けるのでなんとなく楽な家業を手伝うようになった。

当然僕自身も金持ちになれるだろうと何の根拠も努力もなく思っていた。
そしてバブル崩壊の前後に大手建築メーカーが戸建て事業に乗り出してきたのもありウチのような小さな工務店は仕事が激減した。

バブル崩壊のあと仕事が薄くなったせいもあり家業で稼ぐことが出来なくなった。当然他に就職するしかないが実家の仕事をしぬるま湯で稼いできた僕にとっては外で働くのが苦痛でしかなかった。

だが僕の夢はお金持ちになり人からうらやましがられることだ。

とにかく稼ぎたかった。それも極力楽をして。稼いだお金で他人がうらやましがる生活をしたかった。高級車に高級腕時計、そしてお洒落で立派なところに住んで休暇は海外旅行。

それらの高級がつくようなモノは、その後、数年してからある程度、ほぼ全て手に入れられることにはなったが心は満足しきれていなかったと思う。
今はそれらをすべて手放し、本当に必要で欲しいものだけを得ている。

それから何年か経ち現在に至るが現在は全然畑違いの飲食業と副業でなんとか生計を立てている。結婚もしたし子供も1人生まれた。

前置きが長くなったが…

利他と利己について。
過去の僕自身の生き方はホントに利己中心的であったと思う。
自分だけが儲かればいい。自分だけが幸せになれればいい、と。

ことわざに「情けはひとの為ならず」というのがある。昔はこれを他人に情けをかけるのはその人にとって良くない事の意味なんだと思っていた。他人に情けをかけるのはムダであり、その情けのパワーを自分の他に費やせと、心の底からそういう意味だと思っていた。

不思議なもので少し前から、「感謝」という言葉があちこちから降ってくるようになった。例えば会話をしていて他の方からだったりネットや書籍であったりだ。僕は宗教家ではないが大好きな寺院が浅草にあってそこには足繫く通っている。すごいパワースポットで願いがみるみる叶うのである。

話はそれたが上記の「情けはひとの為ならず」というのは利他の精神である。ひとに親切にすれば、そのひとのためになるだけではなく、やがては巡り巡って自分のためになるという。しかし、ひとに親切にしても、それが自分に戻ってくるかどうかはわからない。そう思っていたがひとに親切にして「感謝」をされるとなにやら脳内物質が生成されるらしい。そして親切にした側も幸せになれるというのだ。まさに「情けはひとの為ならず」である。

親切をして感謝され、そして自分も幸せになる。これってすごくないですか?そんな生き方をしてみようかなって思い始めた途端に色々な言葉が降ってくるんですね。

僕は大好きな寺院で神頼みはするもののスピリチュアル的なものは殆ど信じてないんですがこの「感謝」という言葉に始まりこの「利他」という言葉、そして「卑怯」や「嫉妬」という言葉も意識しだしてからはものすごく降ってくるようになりました。
そうなれば必然とその言葉について考えさせられます。

この「利他」という言葉についてもっと書きたいのですが初投稿でどれくらいの記事量がみなさん飽きずに読めるのかがわからないので今回はこの辺で失礼したいと思います。w

浅草のパワースポットのリンク張っておきますね。余談ですが…
演歌歌手の北島〇郎さんも自身の競走馬キタサン〇ラックが出走する時は、レース関係者全員で必勝祈願をこの寺院にしてもらいに来るそうですwww
http://www.matsuchiyama.jp/


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