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大学生の息子たちへ伝えたいこと 空気を読んで自分に嘘をつかない編

私は、深刻に悩むということがありません。

手放して困るものがほとんどないからです。

モノも、人も、環境も、失ったらまた次をさがせばいい、なんだったら、よりよいものに出あえるかもしれない、などと考えます。

だから、私にとって、喪失は新たなものを獲得するチャンスでもあります。


ただ、人生で一度だけ、ひとつのことに3年ほど悩んだことがあります。

それは、結婚して2度目の帰省の際に、義父母から二世帯同居を提案された時でした。


夫は、2人兄弟の長男で、愛知県出身、大学まで愛知で過ごし、就職した会社では、中部エリアにも支店があるにもかかわらず、関西勤務になりました。

本人が希望しなければ定年まで関西勤務と聞いていました。

結婚後は、GW、盆、年末年始に2泊3日で愛知県の義実家に帰省していました。

私は、パートナー選びの際に出身地はあまり重視していなかったのですが、大阪と愛知では、風習や考え方がいろいろと違うと、結婚準備の時から感じていました。

義父母は、実利より世間体、本音より建て前を重視します。

家族でコーヒーを飲むのに、ウェッジウッドのカップアンドソーサーを出された時は、マジで驚きました。

「誰かお客さんが来るんですか」と私は訊いてしまいました(実家では、身内や近所の人なら、マグカップでお茶します)。

カップの容量が少ないので、すぐに私はマグカップに変えてもらいましたが。

そして、義父母の話は、オチも笑いもない、「お庭の花がきれいに咲いた」などのただの報告で、「もう終わるんかい」と何回もつっこみそうになりました。

私は、曖昧な謎の微笑が、うまくなりました。

やっぱり、同じように幼少期から吉本新喜劇を観て育った人の方が良かったかなと少々後悔しました。


私にとって、家は寛ぐところです。

本音が言えない相手と一緒に過ごすのは、無理です。

絶っ対っに同居は嫌。

そして、夫は、私と義父母、どちらの肩も持ちませんでした。

何回、「お前の親のことやんか」と怒鳴りそうになりました、これだからボンボンは嫌だ。

夫の態度からも、同居しても調停役ができる人ではないと踏み、私は、何度義両親から二世帯同居を打診されても、「無理です」と断っていました。


義父母は、老後プラン「長男家族と仲良く同居で、孫に囲まれて過ごす」を、なかなか手放さず、私は結婚して3年、帰省のたびに義父母からお願いされました。

客観的に見て、どうやっても、うまくいかないですよね?

「お金かけて大阪で二世帯住宅を建てて、うまくいかず破綻したらどうするんですか」と訊いたら、「私たちはうまくいくわよ」とキメキメの目で義母に言われ、なんか宗教にはまっている人みたいで怖いなと感じました。

新しい環境に慣れるのに苦労する義父母も、今時少数派の二世帯同居をする意義を全く見いだせない私も、間に入る(気はあまりなさそうな)夫も、みんな貧乏くじ引くことになるのは、自明の理だと思うのだが。

何より、私が一番に考えたことは、わが子の養育環境として、二世帯同居は断固なしということ。

きっと、私が同居のストレスで死ぬ。


結婚3年目の暮れ、忘れもしない義実家のダイニングで、義父母、夫、私で話し合っているとき、意を決して、私は言いました。

「お義父さん、お義母さんの意向はよくわかりました。でも、私はどうしてもそれに応えることはできません。ですので、離婚します」

バタンという大きな音がしたと思ったら、夫が驚きすぎて椅子から落ちてました。

吉本新喜劇かよ!とつっこみそうになりましたが、シリアスな場面だったので、「大丈夫?」と声を掛けました。

それから、夫と義父母は半ばパニックで、別室で3人で話し合いを始めました。

私はダイニングで、義母が入れてくれたダージリンを飲んで、義母が焼いたフィナンシェを頂いて待っていました。


結論としては、義父母との二世帯同居はなくなり、結婚はそのまま続行になりました。

義父母たちにとって、長男が離婚することは、世間体的にも耐えがたいようで、私は、喜びの雄たけびをあげそうになりました(実際、義実家そばの公園に意味もなく走りに行ってしまいました)。

ついでに、GWは高速混むので、帰省なしの約束もとりつけましたー!


私たちが大阪に帰る際、義母にしみじみと言われました。

「私は、これからは、あなたのことを長男の嫁ではなく、宇宙人と思うことにするわ。今後とも、よろしくお願いします」と頭を下げられました。

「じゃあ、私も、これからはお義母さんと本音で話しますね。こちらこそ、よろしくお願いします」とハグしました。

実際、私は実の母より義母の方が、女性としても人としても、尊敬していましたし、好きでした。


小さい頃から「変わっている」とよく言われたし、大学時代も「帰国子女?」「外国の血が入っている?」と訊かれることがままありました。

そこまでは許容範囲だったけれど、まさか面と向かって「宇宙人」と言われる日が来るとは。

でも、義母が本音を言ったことで、私も自分の気持ちが素直に話せるようになり、「オチないよね」も義母に言えるようになりました。

義母が亡くなるまでの15年間、義母と一番本音で話したのは、私じゃないかなと思っています。


自分の心がNOと言っていることをしない。

世界中の人からあなたがおかしいと言われても、しない。

これは、ホント一番大事なマイルールです。

私は絶対的権力者ではないので、その生き方でいいと思っています。




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