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つくれるモノたち

なんとなくこのタイトルになった。
なんてことはない。
これから書こうとしていることは僕の意思表示?
うん違うな。

いま、緊急事態宣言が解除になるのか?ならないのか?
そんな感じの気持ちです。

僕の住んでる東京はまだ見送りの見通し。
受け入れざるおえない気持ちと、もうそろそろいいだろが交錯する毎日だ。正直はそうなんだけど、解除される地域が出ること自体、一歩前進なのかもしれない。

コロナと共に書き始めたnoteは経験を記録してきた。
もともと花屋の経験をして、お花を売るためにも自分自身の価値設定を変えるためにも継続してきたブログである。

ただし、オフラインであろうとオンラインであろうと修正する必要はないけど、オフラインでの活動はもしかしたらふえるのかもしれないしこのままかもしれない。

先の事はわからないだ。
そう。。。
今回、よくわかった事は先の事は本当にわからないという事。

「大丈夫。大丈夫。」から「これ!やばいかも!?」になり「そして、もう外に出ないとさすがにやばいだろ!」肌感として感じる集団意識はこんな感じかな。

ぼくの気持ちだって、そんな感じ。


今までは最悪の事態を想定して、お花を売ってみた。
その中でわかったことは、作り手は場所がどこであろうと作ることはできるし、発信の手段が変わったとて、やり方次第ではもっと自分の花を届けることは可能なんだなとかんじた。

人と会う事ができたらもっと可能性は広がるし、仕入れ手段が少なくなってしまった事は母の日としては痛手でした。その中でも、去年からずっと何かしらで助けていただいたお花屋さんのご協力も今回は本当に大きかった。

助けてくださって感謝しかない。
老舗で地域に密着してないとこんなに協力してくださるお花屋さんはここしかいないとおもう。

創ることの才能を神様に与えられた人間はどんな時でもつくることあきらめてはならない。それは何であってもだ。文章だってつくるだしこれから動画だって作るということだ

そしてどう届けるか?
ぼくには花を作るという才能を神様から与えられた。
どんな状況かでも、届ける努力はおこたってはならないと思っている。そのために生き抜く方法を必死に模索してみる。

そして感じたことは、継続する大切さである。
自分はだれでもない。何にもなれてない。ただ花を届けることを必死に努力するしかない。

たまたま、花で生活する延長線上にパスタがうまくなったり、ブログを書いたり、もしかしてこの先動画編集ということも考えるかもしれない。

そして、忘れてはならないのはお花を届けるのは、ご依頼主様と送り主様との関係性に気持ちを込めていくために、自分が花の技術としての信用はもちろんのこと人間としての信用である。

今回の継続で特に自分の甘さがよく分かった。そういう意味ではしっかり浮彫りになった自分のダメなところをそのままほったらかしにしてもダメで、改善できる事は今回で改善していけるチャンスかもなとも思っています。

昨日、久々のライブ配信をすると早速ご注文くださった方がいました。ありがとうございます。一生懸命つくります。

リアル店舗では、花屋さんがあるのに何でこんな事ををしているんだといわれるかもしれない。もともとはイベントのお花の手伝いと、ライターにきりかわっていたのが去年である。

そのライターでは要領は悪いがそれなりに結果も一年未満でだした。
僕の理想は、個人プレーとチームプレーのハイブリッドタイプだと思う。自分で考える個人プレーをしながら、でも相手の事も考えて動きたいという考え方と、目標が達成したら次の目標迄はみんなそれぞれの旅をいく。

そして、必要な時にまた集まろう。
そういう自立した作り手同士の集まりが好きなのです。

でも人間だからミスもする。

それは仕方ないじゃん。僕だって、他人だってミスをする。
変わっているのかな?
そんな自立分散した生き方が理想なんです。

それでも誰かに僕らは寄り添って生きているのだけど・・・。
もっと自分が優しさをアップデートできるようになりたい。
人に優しくもっとなれたらいいな。
だからキンコン西野さんのコミュニティがすきなんだ。
優しいから。ちゃんと、みんなに逃げ場をつくるから。


花は優しいものなのだから・・・。

まだまだ母の月のご注文おまちしてますね☆


今からはリアルが価値のある時代。 コロナがいったん終息した時には、あなたとリアルにあってお話したいです。