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過去といま

独り言

一年前にFBにこんな投稿していた。

何かいつもとは違う事。
非日常が自分に降りかかったとき。
例えば凄く失敗したとき。
すごく成功したとき。
それが他人のお陰さまであったとき。

周りの人の本音が見えてくる。
その時に、信用できるかできないかあちらは決めてるようにみえる。
でもふりかかった本人こそが一番しっかり判断してる。

人はファッションで批判する。
人はファッションで人を持ち上げる。
他人の物差しで自分を見ると幸せなんてどこかわからなくなる。
なんてふと思い、浅い眠りから覚める。

1年前を振り返ると僕は寂しかったんだろうと思う。
でも孤独で居続ける事もできない。
集団で居続けると心苦しい。
そんな感じで燃えるにもどう燃えたらいいのかすごくわからなかった時です。こんな事も書いていた

迷ったときは原点に戻る

そもそも何のため集団は必要か?
夢のため? 
ビジネスのため?
楽しそうだから?
あの人に近づきたいから?
答はいくつもある。
理由は枝分かれすると、答えの何倍もの数
存在する。

そもそもなぜ人間関係でなやむのか?
答でいがみ合い、
答が同じでも過程で喧嘩する。
あの人の一派だからと、憎しみあう。
人が増えると絡み合いもつれ、ほどけない。

こんなとき「優しさ」は
利用されやすい道具なのかな?
こんなときの「強さ」は
弱いと思われている人の狡猾さに
利用される兵器なのかな?

若いときはこんな事ばかり考える暗い日々を過ごした。今は結構、そういうことを考えずに済む環境にきた。
特に社会的地位もないけど、しんどくて
くたくただけど楽しくやってる。

ええ具合に悩みもあり、ええ具合に危機感をかんじ、ええ具合に緊張してる。
何よりええ具合に充実してる。

なんか、言語化してみると
端から楽したい人に向けて、
僕は書いているんじゃないと思う。
別に誰に向けてでもないけど、
社会の刺激をうけてツラツラと書きました。

最近のヘビロテは
ユニコーンの「大迷惑」


マイラバの「hello again」

すこれは2019年の投稿ですw

コロナで向き合えたこと

みんな必死に生きている。
ただそれだけ。
そんな大したことない事を表現によって酔っていた所がある。
もっと自分とむきあって、ひたむきに自分なりの問いを考え抜いていなかった。

ライブ配信も100回も残り10回
新しく商品を考え新しい価値を見出ししていく。
多分7月になり、また違った言葉はかくと思う。
そして違った生活をして、もう少しライブ配信のやり方もかえていく。そして頻度も減らすと思う。
その時に変わらないものは何だろう。

やっぱり僕はかかわりなくして生きていけない。
ココは変わらないもの。


変わらない価値とこの100回で培ってきたのは何なのかもう一度見直します。

自分と向き合った結果が他人の共感を産んだら本当に嬉しい。

でも、これには何度も工夫を重ねて試行錯誤して継続していくしかないのかなとおもってます。

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今からはリアルが価値のある時代。 コロナがいったん終息した時には、あなたとリアルにあってお話したいです。