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恩をあだで返すとは?

私の幼少期は祖父母との思い出でいっぱいです。
3歳頃から祖父母と私の3人暮らし…欲しいものは全て与えてもらっていました。
父方の祖父母に育てられたのですが、

母方の祖母は小さい私に
「のりちゃん、隠居暮らしは3文安いっていうからね」と会う度に言う始末

言葉の意味はわからずとも、この人は何か妬んでいる…と感じていました。

もちろん訳があって、祖父母と暮らしていたのですが心の中では
いつかお母さんが迎えに来てくれる…いい子にしていたら必ず迎えに来てくれると信じていたのです。

幼稚園のお迎えも、お出かけも、お買い物も…いつも一緒。
これが当たり前だと信じていたし、よその子なんて気にもしませんでした。
小学校にあがると、あれ?がたくさん待ち構えていたのです。
友達との会話や作文、夏休みの絵日記にはお父さん、お母さんが登場。
私は…おじいちゃん、おばあちゃんばかり。

子どもは時として残酷かつ正直
「のりちゃんにはお父さんやお母さんはいないの?」と訊かれたことがありました。
「いるよ…」とは言ってはみたものの、この後に出そうになった
「たまに会うけど」は呑み込みました。

このあたりから「何で迎えに来てくれないんだろう?」と考える時間が多くなっていったような気がします。

小学4年生の時、私に生理という全くもって得体のしれない現象が起こりました。まだ誰からも聞いたことのないこと、教えられたことのないことが自分の身体で起こったのです。
トイレには経血…パンツにも経血。
「私、死ぬんだ…おじいちゃんやおばあちゃんよりも早く死ぬんだ」
このことを夕飯の片付けをしている祖母に泣きながら伝えました。
祖母から出た言葉は
「おめでとう!のりこ、ずいぶんと早いね」… です。

片や、死を覚悟する人。
片や、喜ぶ人。

「おばあちゃん、よくわからないから…お母さんに聞いてこよう」
そう言って祖母と隣の実家へ母を訪ねました。
ここでも奇妙な会話が続きます。
母は「あら~、早かったのね。新しいショーツあるかしら…」
私の死への覚悟はどうやら必要ないようです。
このあと、母に説明を受け ”赤ちゃんを産める身体になった” ということだけは何とか理解しました。
母はとても丁寧にショーツにあてがうナプキンの付け方、量が多い時の対応方法を教えてくれました。
なんだか、とても嬉しかったのです。
いつも何かを教えてくれるのは祖父母だったので、新鮮でもありました。

この時に ”やっぱり、お父さん・お母さんと暮らしたい”

自分の気持ちがわかったのです。
私は勇気を出して祖母に
「向こうのお家に帰りたい」と伝えました。

普段優しい祖母の顔がみるみる豹変していき一言…
「お前は恩をあだで返すのか!今まで育ててやったのはこっちなんだぞ!」
小学4年生の心には処理しきれないくらいのいろんな感情がぶちまかれた瞬間でした。
”私はおばあちゃんを怒らせて、期待を裏切った悪い人” 

48歳になった今でもこの言葉は人生を生きやすく、生き難くしている言葉のひとつになっていました。

以前、母に「何ですぐに迎えに来てくれなかったのか?」と散々泣いて責めたことがありました。実は母も祖母に「ノリコを返してください」と話をしたことがあったと…その際に祖母はとてもおっかない顔で

「おまえは、ノリコと私の生木を裂くのか!」と怒鳴られたらしいのです。

※生木を裂く…お互い思い合っていることを承知で他人が無理やり仲を引き裂く意

その時は寂しさから、母にも事情があったことを受け入れることができませんでしたが、最近、母の病院の付き添いなどで会話をする機会が増えたことで、当時の振り返りを母とするのです。

先日のこと、ふと祖母の話になった時、私の中で強烈に『恩を仇で返す』これホント?説が急上昇。それと同時に『生木を裂く』これもホント?説も浮上してきました。

祖父母からのたくさんの愛や物を受けとったことで、申し訳ない…という気持ちからの何か人にしてもらったことすべてが申し訳ない…と思ってしまう癖がありました。返せなかったことは全て罪悪感となります。

実は見方を変えてみたのです。

今まではの私は、祖父母の私への愛は親が忙しく構ってもらえないかわいそうな子どもとして、物を与えたり、どこかに出かけたりして、不自由のない他の子どもと同じくしてあげたかったからの行動だと信じてやまなかったのです。

これはもしかして…祖父母の私への執着もあったのではないか?と。こんなことを思ってしまうこともまだ胸がチクリとしますが…最初は確かに私を大事に大事にしてくれました。その後もですが…しかし、私が勇気を出して「向こうのお家に帰りたい」と伝えた時の祖母の反応は、果たして愛だったのかな?と疑問に感じるのです。

わたしだったら、どうしてるかな?

手放してしまうのはとても寂しいけれど、親の元で暮らすことが一番だと親の元に還すのかもしれません…わかりませんが。しかし、今の私だったら『恩をあだで返すのか!』は言わないだろうな…

愛はカタチを変えて相手にぶつけてしまう時があります。

執着、怨念、嫉妬、裏切り…

受け取った相手がその後ずっと引きずってしまうことさえもあるのです。祖母は明治生まれの戦争時代を生き抜いてきた人です。強くなければ生き抜いてこれなかったのでしょう。そんなことに思いを馳せてみると、私をいつも立ち止まらせていた『恩をあだで返す』はもうお終い。

恩は返すものではなく、送るものだと気が付いたのです。

そこには仇も罰もないフラットな世界です。恩を受けたと思うならば、次の人に恩のバトンを送ればいいのです。それが幸せの循環だと、とても腑に落ちました。

生木を裂くだって、祖父母が思い描いていた世界だということ。

今はもうこの世にはいないけれど、あの時はそう思うこと、言うことで、せめてもの抵抗をしていたのでしょう。

私は祖父母からのたくさんの愛を受け取ったことに心から感謝し、可哀そうなノリコと恩をあだで返すノリコ説は愛をこめて祖父母にお返ししようと思います。おじいちゃん、おばあちゃん…ありがとう♡

たくさんの愛をこめて♡

Share the love♡Nori







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