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ウォーキングしながら気づいたこと、感じたこと

梅雨に入り、こう蒸し暑い日が続くと、長い距離を走ろうという気分にはなかなかなれず、、
でも今朝から外に一歩も出ていないので、19時過ぎにウォーキングに出掛けたのりすけです。
ウォーキングといってもバリバリ走る格好で、9分/kmくらいで歩きます。

今日は隅田川を渡りたかったこともあり、自宅→両国→蔵前→秋葉原とぐるっと回り、約55分、距離にして6km程度でした。
すごく蒸し暑いけれど、やっぱり体を動かすと、気持ちが前向きになれる、改めてそう感じました。
歩きながら、気づいたことを残しておきたいと思います。

①周りの人に安心感を与える存在でありたい

私は今までずっと、外を歩いてすれ違う人が怖かったり、敵だと認識していたため、攻撃されないように?とにかく身構えて、自分から敵対心を沸々と見せていたことに気づいた。

でもこの数か月、カウンセラーからアドバイスをいただいたとおり
「私が今怖いと感じるのは、感覚が過去のトラウマの経験に引き戻されているから」だと教えてくださり、今は安全なんだから、過去と今を切り分けて、今の安全を感じようというアドバイスをくれました。

それを意識しながら生活をして、約1か月、外を歩いているときにも「今はは安全、今は安全」と念仏のように唱えながら(笑)、意識付けをしました。

なぜだろう?これまで気になって仕方がなかった、道ですれ違う人の視線が全く気にならなくなった。
周りの人がどんな人であれ、何をしていようが、どうでもいいと思うようになった。そして、明らかに周りの人が私を見ているであろう視線が減った。

冷静に考えると、これまでの私にとって、道ですれ違う他人は危険な人であり、私が身構えてしまっていたから、他人もその雰囲気を察して防衛モードに入っていただけではないのか、そう分析しました。

だとすると、私の中で安心を感じる場面が増えれば、きっと周りの人も私とすれ違っても、特に気にすることもなくなるはず。
なんだそれってWin-WInじゃん。この体験を繰り返せば、そのうち何も気にならなくなりそう。

今日も私を支配してきた、誤った認知を少しだけ直すことができた気がする

②ガードマンさんに感謝を伝えたい

蔵前付近を歩いているとき、歩道を塞いだ道路工事をやっており、車道に設置された臨時歩道にガードマンのおじさんが誘導していた。
別にガードマンがいなくても、安全に通行できるのだが、そのおじさんは「ご迷惑をおかけします」と頭を下げながら、私を手振りで誘導してくれた。

今までの私は、正直にいってガードマンの人を自分よりも下にみていた。その判断基準は絶対的な収入額である。
自分より収入が低い人は、自分より劣っている、だから横暴な態度をとっても良い、こんな歪んだ価値観を持っていた。加えて、公共工事で税金が投入されているんだから、適当に仕事をしているようなものなら、腹が立ってしかたないといった具体だ。

今は、そんな自分が恥ずかしくてならない。そもそも人は比べるものではないし、何かの基準で争うものでもない。
今ではそんな認知の歪みは修正できたのか、思い切ってガードマンの横で「ありがとうございます」と言おうと思った。が、なぜか頭すら下げることができず通り過ぎてしまった。

②でも触れたが、私から危険な人ではないことを見せれば、相手も安心するはず。だから、せめて頭の一つくらい下げて横を通りたかった。
なんだか悔しい。次こそ「ありがとうございます」と伝えよう。

③自分から躊躇なく挨拶ができた

その30分後、自宅マンションに戻りエレベーターホールへ。
偶然出くわした、他のお部屋の住人の方に、目を見て自分から「こんばんは」と挨拶ができた。
すると、そのおじさんも大きな声で「こんばんは」と返してくれた。
おじさんはエレベーターの5階で降りる際、「失礼します」と言って降り、私も「失礼します」と返すことができた。

当たり前だけど、このように挨拶ができると、すごく安心を感じる自分に気づいた。
挨拶って、相手への敵意がないことを示す行為なんだと気づいた。
正直にいうと、マンション内ではなるべく住人の方と出くわしたくはない。なんだかうがった目で見られている気が完全にはぬぐえないからだ。
でも、挨拶によってそんな不安をも払拭できる、自分から気持ちのよい挨拶ができる、それを当たり前にしていこう。そう思った夜でした。

今日の振り返り

断酒2日目、飲まずに寝れそう。晩御飯もちゃんと自炊できた。
運動もでき、自分の言動も見直すことができた。今日一日悔いなし。
そして今日も一人で子育てをしてくれている妻に、心から感謝を伝えたい。
今日も本当にありがとう。

ちゃんと野菜も摂取


継続は力なり

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