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スピリチュアルって何なのか


はじめに、私は世間一般に認識されているある種のスピリチュアルと言われるものに懐疑的である。けれど、決して全否定しているわけではないよ。そして、以下は私の主観です。

「見える」という人には何かが見えているのだろうし、「感じる」という人は何かを感じているのだろう。それがリアルなのかどうかは別としてね。

で、私は思ったわけですよ…スピリチュアルって何なんだろう?と。

まず、スピリチュアルの定義は辞書によると、目に見えない不思議なチカラ、魂や精神や心、神や霊など超自然的な神秘的なもの、とある。
語源はspirit だから精神だ。
精神とは、心、意識、気力、理念の在り方

要するに良いものであれ悪いものであれその人の心が「信じてること」とか「見たいもの」、なんらかの理由で「見えてしまうもの」なのだろうなぁ、と思うのです。

目には見えないけど信じてること、となると私にとってのそれはやっぱり「愛」だと思うわけですよ。見えないけど、感じられるものだから。

でもさ、スピリチュアル好きな人って占いとか大好きでしょ、パワーストーンとかもさ大好物だよね。まあそういうものも、ほんのりとしたお守りみたいな程度に考えたり気休めにしたり、依存せず執着せずににうまく付き合えれば決して悪いものではないのだろうけど。

私が否定的なのはスピリチュアルに値段を付ける行為だ。これすっごい敵作っちゃう発言だなー(笑)ちなみに私は反対意見も聞きたい人。

まぁね、科学に紐付けられたものとして引力や気圧、気候や地質なんかによって人体になんらかの影響力があるような場所や土地とかはあるんだろうし実際に森林浴すれば浄化される気がするし日光は気持ち良い。それをパワースポットなどと呼ぶのだよね。

それに、触れ合いや笑い、心地よい香りなどで発するオキシトシン、日光浴などで増えるセロトニンとか幸せホルモンと呼ばれるものの影響で体調が良くなったり、様々な食べ物による心と身体への効果もあるし「病は気から」的なプラシーボ効果で自然治癒力が高まる人体の不思議なんかも間違いなくあるとは思う。
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特別な関係においての阿吽の呼吸、虫の知らせとか、テレパシーのようなものはある気がするし、存在するしないは別として歴史や文化としての伝承や民話の不思議な生き物、妖怪とかファンタジーだって私は大好きなのだ。

占いも神頼みもどんな信仰もどんなものにもスピリチュアルを感じて信じるのは自由だし、スピリチュアルが救いとなる人もたくさんいるんだろうなあ、とは思ってる。

それでもビジネスとすることには疑問を持ってしまう。スピリチュアルビジネスには真っ向否定的な人間なので、その価値がお金になった時点で正直大抵のスピリチュアルはホント眉唾だと思ってる。

だってね、神とか仏とかの名を語ったり、魂とかオーラとか光とか、ましてや愛なんて言葉を使って金儲けようとしてる時点でそれは神でも無いし愛でも無いと思っちゃうよね。

そういう存在がお金で左右されるってどう考えてもおかしいでしょ。

お金を稼ぐことは仕事で愛じゃない。純粋にビジネス。それは生きる為の手段だ。だからとてもシビアで俗っぽいことだ。

お金を稼ぐ=プロ  

対価に見合う効果や価値を供給してお金を稼ぐ
それがプロってことでしょ。プロだからこそ仕事とプライベートを区別して見続けられるのだと思うしね。

だからさ、持ってるだけで幸せになれる!人生が変わる!パートナーが出来る!みたいに人の弱みにつけ入って中身も保証も無いものを使ってお金儲けの方法にする商売ってなーんか納得いかないのだよね。

ビジネスにするとそこには全く愛がない、とは言わないけどさ、お金が絡んだ時点で少なからず欲とか下心はあるよね(笑)

スピリチュアルとか神さま的なものにはさ、欲とか下心なんてないと思いたいじゃない。
「藁をも掴む」思いの人からお金や真心をむしり取るなんて神さまはしないよね、って思いたいんですよ。まぁ、これもただの私の主観ですけどね。

風水や祈祷や壺や石や分厚い聖書で病気が治ったり金持ちになったり運が良くなることなんてないんじゃないかなあ。もしなったと感じるならそれは「心の持ち様」だし、祈りは行動によって成し遂げられるものだ。

人生は一度きりで転生することもなけりゃ命あるものは死んだらただ無になると思ってるので霊になるとか輪廻転生とかも信じてない。

死んだ後に存在できるのは自分を慕っていた人たちの心の中にだけ、その思い出という時間の中でならその人たちを見守るとか時に癒すということが可能なのだと思う。ただそれだけで誰も覚えていなくなった時にこの世から本当に消滅する。

だから私のお葬式には「千の風」を流してねーと言ってある(笑)まあ、死んだことないから実際の死後の世界はわからないんだけどねー

あと、特殊な能力とか霊や動物と話せる能力とかも信じたい人たちが信じてる分には別に問題は無いとは思うけど、その心を利用して儲けようとする人は信用ならない。恋愛と同じでお金が絡んだ時点で信頼度はガタ落ちだよーと思ってしまう。

私の考えるスピリチュアルってものは「愛」なので愛のパワーを信じる私としては求めない愛、無償の愛こそが本来の純粋な魂みたいなものなんだろうな、と思うわけですよ。

誰かが無条件に愛するものにしてしまうこと。
それは包み込むような愛でも狂気的な愛であっても自分以外の誰かを純粋に想う愛は尊いもの。
損得勘定の無いピュアな感情だから。
スピリチュアルの根っこってそこにあるような気がするなぁ。

だから、人の心の隙間や弱さみたいなものを利用するようなスピリチュアルをビジネスにすることにはとても否定的なのです。
まあ、結局のところはそれを信じてる本人が良ければ私が言えることなんて何もないんだけどさ。

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