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「好き」を貫くことは…My favorite things〜

私は好きなものがたくさんある。
映画もアニメも漫画も好きだし、音楽も好き、雲も好き、写真撮るのも好き、美味しいもの、かわいいもの、恐ろしいものも好きだ。抽象的!(笑)

同じくらい嫌いなものもたくさんある。
運動嫌い、寝不足も嫌い、うわべの付き合いも苦手、子供も苦手(姪っ子甥っ子は特別に可愛いが)、他にも自分が疲れることはみんな嫌い。

そして好きな格好をして、食べたいものを食べ、怠けたい時に怠け、寝たい時に寝る。
まあ、こんな私ですが、やるときはやるよ!(笑)

私は基本、他人に迷惑をかけなければ誰もが好きなように暮らしたらいいと思ってる。
男も女も年齢も関係ないと思ってる。
好きかそれ以外か(ローランドか笑)だと思ってる。
人に害がなければ好きは貫いて良いと思っている。

だから、たぶん同年代の感覚とは少しずれていたりするらしく、変わっていると思われることが多い。

他界した父も存命の母も兄も私を変だと思っている(笑)まあ、気にしない。愛情はふんだんにかけてもらってはいたしね、とても有り難いことに自由にさせてもらっている。

私は私の好きな人に必要とされ、甘えたり甘えさせたりできたらそれでいいし、それだけで幸せだから他の人が私をどう思うかは正直どうでもいいのだ。

これは性格とか性質の問題なのだろうか。
本当のところ、何故なのかは分からない。
だけど、恐らくマイノリティではあるのだろうことは薄々知っている(笑)

私はいくつになっても変わらず好きな服を着て好きな髪型をして好きなメイクをする。

思想も志向も嗜好などはいろいろ変化しながらも根っこは変わることはないんだろうなぁ。

成長と共に太く強く育った私という木はすでに花が咲き、青葉の時期も終わり、紅葉🍁している。なんならヒラヒラと葉を散らし始めている。

だけど芽吹いた時から大地に根を張り続けた根っこは変わることなく同じ場所で広がってゆく。

それでいいのだと思ってる。
人と違っていても、理解されないことがあっても、嫌う人や笑う人がいてもね。
どうでもいいことだ。

好きなことを貫く時、時として人はカッコ悪くなる。だけど、カッコ悪い思いをした者がカッコよくなれるのだ。カッコ悪さを見せることができる人が本当にカッコいいということだ。

それは人からの評価を恐れないから。
だからカッコ悪くてもカッコ良いんだよ。
私はそう思う。

そして、私には好きな人がいる。
愛する人がいる。愛し合える私はとても幸せだ。

私はいつでも私であり、愛という栄養をたくさんもらって育ち、実りを過ぎて時と共に枯れてゆこうと根っこは変わらずそこにある。
それが嬉しい。


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