【名作ゲーム】SEGA ロードランナー〈monologue50〉
おはようございます。のりしろ太郎です。
皆さんは幼少の頃、どんな遊びをしていましたか?
10代、20代…30代、40代…50代、60代…70代…
昭和、平成、令和…それぞれの時代を生きてきた世代では人気のあった遊びや玩具も異なるでしょう。
私が幼い頃、流行した遊びや玩具といえばこうでした。神社や空き地で野球、ガンダムのプラモデル、キン肉マン消しゴム、ビックリマンチョコのシールなど。とっさに思いついたものを書き出しました。中でも子どもたちを夢中にさせてのはファミリーコンピューターこと「ファミコン」でしたね。ファミコンは子どもたちの中で絶対的存在。今の時代よりも娯楽が少なかったことに加え、流行に多様性は少なかった。我が家も友人たちよりも少し遅れはしたもののファミコン(ABボタンが丸型のモデル)を買ってはずいぶんと遊んだものです。ファミコンのゲームの想い出は今も忘れることはありません。コナミのグラディウスでは「上上下下左右BA」という呪文のような操作の隠しコマンド、通称コナミコマンドを今でも覚えていますし、スーパーマリオブラザーズをプレイすれば、どこに1UPキノコがあるのか覚えています。子どもの頃に遊んだ記憶というのは、何十年経っても忘れないものですね。
2024年に生きる子どもたちのゲーム
2024年。我が家の息子たちはニンテンドースイッチで遊んでいます。ゼルダの伝説やスプラトゥーンにマインクラフト。傾きを検知するジャイロ機能が備わり無数のボタンが配置された複雑なコントローラーを巧みに操作し、バーチャルリアリティー空間を自由自在に駆け巡ります。現実と見間違えるほどの美しいグラフィックスの世界でゲームを楽しんでいます。私には、スイッチの複雑極まりないコントローラーを操作することはあまりにも難しく、ジェネレーションギャップを感じずにはいられません。
私には最新ゲームは難しいので、サブスクのニンテンドーオンラインで遊べるファミコンやスーパーファミコンのレトロゲームを時々楽しんでいます。だいたいカプコンの超難易度のゲーム「魔界村」を楽しむことが多いんですけど。
1980年代を生きた子どもたちのゲーム
1983年に登場したファミコンは子どもたちの間で絶大な人気でした。任天堂のマリオブラザーズ、スーパーマリオブラザーズ。ナムコのゼビウス、ファミスタ。コナミのツインビーやグラディウス。ハドソンのスターフォース。ゲームの名前をあげたらキリがない私たちの世代にとっては名作の数々。ニンテンドースイッチとは比べ物にならない8ビットで描かれるグラフィックス性能でしたが、それでも夢中になる面白さでした。ゲームは色の数でも解像度じゃない。面白さの本質はアイデアだ。ホントそう思います。ゲーム黎明期の制作者の試行錯誤も感じ取れます。本体の性能が悪いからゲーム制作者は頭をひねって面白い表現をする。制約があるからこそ生まれるものも多かったはず。
グラフィックデザイナーでもある私に関連深い印刷の世界でもそうなんですが、多色で印刷できるオフセットがあれば、版数の制約のシルクスクリーン印刷もある。色の数が少ないとかえって面白いデザインになることが多々ある。
私は、バイブルにしている一冊の本があります。それが著者:横井 軍平・ 牧野 武文『「世界の任天堂」を築いた発想力』。1965年から任天堂に在籍され、任天堂で数々のヒット商品を生み出した横井軍平氏のインタビューを綴った本です。知られざる天才開発者の開発秘話とクリエイター哲学を知ることができます。ゲームをされない方にとっても参考となることが多く書かれた一冊です。ぜひお読みください。
この本の中で"枯れた技術の水平思考"という考え方について書かれています。私の解釈ではこの"枯れた技術"とは、最先端技術ではないごく当たり前に浸透しきった技術。つまりは古くなった技術のことを"枯れた技術"だと解釈しています。最新技術や特別な技術でなくても、枯れきった古い技術であっても、アイデア次第で優れた、クリエイティブは生み出せる。このことはクリエイターの私にとって、もっとも共感し、心に響いた思考哲学となりました。
グラフィックは劣るからこそ
アイデアで勝負
随分と任天堂の話をしましたが、今日語りたいのは任天堂ではありません。1983年以降にゲームのシェア争いにしのぎを削っていたSEGAの話です。当時、友達の家に行けばファミコンが必ずあったほど人気でした。時々ですが、エポック社のスーパーカセットビジョンやごくごく稀にSEGA SG-1000がある家もありました。そんなごくごく稀な家が、我が家だったのです。
我が家にはファミコンと同じ日に発売されたSEGA SG-1000というゲーム機がありました。なぜこのSEGAのゲーム機が我が家にあったのかといえば、玩具屋さんへファミコンを買いに行ったが、あまりにも人気で売り切れとなっており、たまたま在庫があったSEGA SG-1000を買ったという経緯がありました。もしスーパーカセットビジョンしかなければ、それを買っていたでしょうし、ファミコンがあれば、もちろんファミコンを買っていたことでしょう。SEGA SC-1000しかなかったからという偶然が私の幼少期の想い出を作ることになったのです。
周囲の人たちは、私のことは少し一般的な人たちと違うと感じているようです。いわゆる趣味嗜好が変わった人です。それはこのSEGAのゲーム機SC-1000が私の人格形成に大きく影響したのではないかと今では思います。市場でニッチなゲーム機を手にしたばかりに、今でもメジャーではない、マイナーのものを好むようになってしまった。ニッチを好むようになったとそう感じています。人が選ばないものを選びたい。誰も注目をしていないものを手に入れたい。そんな人格は幼い子どもの頃に自然と養われたのではないでしょうか。少し変な人間になってしまったのはSEGAの責任ともいえます。だからカメラに関しても王道のCanonでもNikonでなく、SONYでもなく、Panasonic LUMIXを愛してしまうのかも知れません。
SEGAのゲームソフト
我が家のゲーム機SEGA SG-1000。いくつかのゲームがありました。所有してたソフトの中から思い入れのあるソフトをご紹介します。
〈コンゴボンゴ〉ドンキーコングっぽい、アドベンチャーゲーム
〈モナコグランプリ〉縦型超高速スクロールレーシングゲーム
〈エクセリオン〉ギャラガやギャラクシアンのようなシューティングゲーム
〈ハッスルチューミー〉パックマン的な要素のあるドットを食べ尽くすゲーム
〈ロードランナー〉こちらが今回の主役のゲーム
大人になってから
ゲームパソコンSEGA SC-3000を手に入れた
子どもの頃から随分と月日が流れて今に至ります。
大人になってからの何年か前の話になりますが、ヤフオクでSEGAのゲームパソコンSEGA SC-3000に出会いました。このパソコンは、プログラム言語BASICが使え、なおかつSC-1000のゲームも遊べるものです。SG-1000で遊んでいた幼い頃に憧れていたゲームパソコンです。随分と懐かしく想い落札に至ったわけです。SC-3000については、過去の記事詳しく買いていますので、ご興味をお持ちの方は、そちらの記事をご覧ください。
SC-3000と合わせてロードランナーも入手しました。このロードランナーは、幼い頃に随分と遊んだ私にとって名作のゲームです。私がSC-1000で遊んだゲームの中最も好きなゲームでした。
ゲーム機の性能の低さがクリエイティブを生む
SEGA ロードランナー
さて、今日の主役「ロードランナー」。こちらのソフトはROM32KBという容量で作られたゲーム。32KBという小容量なことに驚き。32MBでも3.2MBでもなく、32KBですよ。写真一枚撮っても簡単に3MBくらいの容量になってしまいます。ゲームが遊べて32KBです。制作者の苦労が伺えます。制約の塊。
大人になって入手したロードランナー
悩ましいことにゲームを楽しむ時間がない
幼い頃に夢中になったロードランナーを大人になって入手しました。嬉しいものですね。ただ、ゲームをする時間が全然ありません。そこが悩ましいところです。いまだに電源が入る一度テストしただけで、それ以来プレイしたことはありません。
ここで、私の小さな目標をひとつ。いつかYouTubeでゲーム実況することがあれば、私はこのロードランナーを実況したい。このロードランナーのミニマムでクリエイティブな世界観を皆さんと共有したい。
今、息子たちが夢中になって遊んでいるゲームや玩具の記憶は、このロードランナーと同じように、きっと大人になっても鮮明に覚えてることでしょうね。
勉強はもちろん大事だけど、ゲームも大事。ゲームから学ぶこと得るものがたくさんあることでしょう。学ぶ時は学んで、遊ぶ時は精一杯遊んで欲しい。ロードランナーを手にして感慨深くノスタルジーに浸り思う私なのでした。
おわりに
私のnoteでは「monologue(モノローグ)」と題して、私の内面から出る言葉や想い、蒐集品、たわいもない日常について書き綴っています。私にとってnote毎日投稿という壮大な目標を掲げ、今日で50日目。まずは100日連続投稿を目指します。
今回のロードランナーはいかがだったでしょうか?若い世代の方はご存知ないですよね。古いゲームですが、っても面白いので機会があればぜひプレイしてください。
また私のnoteに足をお運びいただけたら幸いです。皆さんのフォロー、すき、コメントが執筆の励みになります。のりしろ太郎の活動や取り組みの詳細、最新情報は、十月のオクトパス websiteをご覧くださいね。
それでは皆さん、また明日お会いしましょう。さようなら、のりしろ太郎でした。
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