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ひきつづき職歴の洗い出し。

10日ほど前の投稿で職歴について振り返りつつ今後の道筋を洗い出そうとしたら、30代の自分の仕事に対する姿勢が見えてきただけで、まだ紐解き作業に時間かかりそうだったので先延ばしにしていた続きに、とりかかります。

肝心なポイントに辿り着くまで時間かかりそうだけど、刻んでいってみます。



長くアパレルに携わることになった最初のきっかけは京都の呉服屋さんだった。

それまでの英語/英会話関連の会社から一転、特にスキルはないけど興味だけで飛び込んでみた世界。


何代目かの若い社長が経営していたその会社での仕事内容は、着物の展示会企画や販売の中でも少し特殊で、人形師の辻村ジュサブロー(現 辻村寿三郎)氏がデザインした着物の専属だった。

独自の世界観を持つジュサブローの着物はまず単物自体の発色が一般的な着物の淡い色調とは違い、渋く深いトーンのものが多い。

それに合わせる帯や帯締め、半襟、八掛と長襦袢の色合わせもかなり独特で、馴染ませるよりも反対色を大胆に合わせて互いを引き立て合うというルールがあった。

だから色彩についての知識が役に立ったし、もちろん色だけではなく、日本の伝統やしきたりに基づく着物の世界は新鮮で興味深く、そして正絹に触れたことで、生地/布地の魅力にハマった。

さらに、以前の英会話スクールの運営/マネジメント/営業の仕事と違い、毎日うつくしいものを目にする贅沢さや、高額商品の接客販売特有のある種の華やかさにも、ハマった。

ただし伝統の世界だからこそなのか時代なのか、先輩との関係を中心に多少の窮屈さを感じていた記憶はある。

まぁ会社員だから社内ルールに従うことで感じる不自由さなどあって当然。

辞めた理由は明確に思い出せないけど、シンプルに取扱い商品の需要が年々減ってきて、展示会企画要員がそんなに必要ではなくなってきたことは覚えている。

現にそのポジション(ジュサブロー着物専属コーディネーター)は、私が入社した代が最後の採用だった。

先がないなと思い、布地を扱える仕事中心に、中途採用の会社を探したらすぐにヒットしたのが次の就職先。

博物館に納めるような特殊生地を取り扱う専門店、六本木に本店がある有限会社「布」の大阪支店にスルッと入社した。

だれと面接したのかも記憶にないが、勝気な女性支社長の率いる20代の女性スタッフ5.6名ほど、プラス年配の元イラストレーター男性が顧問として経営や商品そしてスタッフのメンタルケアまで担っていた、そんなチームに加わり商品企画と販売業に就いたのが確か28才あたり。


続きは次回に。

おやすみなさい。

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