ホンネ ~「気にしすぎ」とそれに付随する様々なこと~
「そんなの気にしすぎじゃない?」。何度も聞いた、このセリフ。なにか気になっていることを友人知人親戚両親に相談したときにこう返されたら、たいていはきっとイラッっとするに違いない。本人が真剣に悩んでいるのに、あろうことかその責任の所在をはっきりさせないまま、悩みをそのままそっくり本人に押し返して解決した気になって誰得よ。でもそんな彼らだって、HSPに対してはふとした拍子に悪気なくその言葉(もしくはそれに似たニュアンスの言葉)を口にするんだから、人間とは実に不思議な生き物であーる。
でも私ぐらいのHSPになるとそんな台詞を言われたところで、もはやイラッとなんてしない。
HSPという性質が少しずつメディアなどで取り上げられるようになってきてはいるものの、まだその認識は残念ながらあまり広まっていない。だからHSPであることで、ただ細かい人で面倒な人とレッテルを貼られるのは、よくある話。そんな昨今の日本において、私は「そんなの気にしすぎだよ~」なんてもはや言われ慣れているのだ。電車がおおむね時刻通りに来るように、タピオカ屋さんがところせましと都心に溢れているように、コロナ下で出歩くときはどんなに蒸れようがマスクをつけるように、いまの日本ではごく当たり前のこと。
そんなものにいちいち反応していても埒が明かないし、そんなことは分かってるつもり。でもまあ正直言うと、それでもやっぱり内心深く傷つくんだけど。
「ああ、この人もか」とただただがっかりする、それが一番の正直な気持ち。なんで気になるのか、親身に聞いてくれる人はあまりいない。HSPの感覚が一般の感覚と合わなくなったとたんに、私たち認識する側の問題になってしまう。そうなると説明ものぞめないから、独りぽつんと残される。憤怒でも悲哀でもない、この圧倒的な落胆。HSPだから余計に落ち込む。
そもそもHSPが何かを全く理解してないだけでなく、理解する気すら毛頭ないのだから、そんな言葉が出てくるのですよ。まあそりゃそうだよね。自分はHSPじゃないもんね。「気のせい」「考えすぎ」「自分がそうしたいだけ」「そんなこと誰だってある」「仕方がない」。だからHSPという名前がついていようが、要はただの「気にしすぎ」。それはHSPからかけ離れているから言えること。
HSPが気に病むのは、自分に対してどうとかじゃないの。なんなら自分だけならどうだっていいの。そんなことよりも、人様に対してなにか自分がしでかしていないか。それがものすごーく気になるのよ。HSPは自分を守ってなんかいない。ただあなたを立てようとしているだけ。そこのところを勘違いしないでほしい。
でもそんな世の中でそんなHSPの性質だから、社会に出て「人並みに」生活していくのはやっぱり大変だったりする。HSPなら、きっと皆不思議に思っているはず。他のHSPの方々はどうやって日々暮らしているのだろう、と。私も疑問に思っている。皆さん、どうやって日々お過ごしかしら。無理がたたってないといいのだけれど。
一応補足しておくけど、世の中にはがっつりHSPだけど社会に出て活躍している人がいるのも事実。そして私はそういう人たちを本当に心から尊敬している。だって彼らはたくさんたくさんたくさんたくさん苦しんで、今の彼らに努力してなったのだから。そんな彼らは底の底まで自分と向き合ったのよ。思いの深さが違うのよ。覚悟が違うのよ。だから俳優だろうと芸術家だろうと実業家だろうと正社員だろうと非正規だろうとパートだろうとバイトだろうとニートだろうと、それがどんな形であれ、私の彼らに対する尊敬の念は計り知れない。
そういえばだけど、簡易テストでは一応当てはまりはするものの、軽度のHSPだったり、そもそもHSPじゃない他の性質でたまたま重複が重なっただけだったり、そんな人が「私HSPなの~」ってかまってちゃん感を出すのも、正直やめて欲しいと思ってしまう。
そもそも筋金入りのHSPだったら、自分から前に出て私HSPですなんてとてもじゃないけど宣言できないからね。だってHSPを言い訳にして自分の不出来を許してもらおうとしているみたいで、非HSPの方々に失礼だもの。HSPの周りに居て、本当に理解しようと日々懸命に努力している非HSPの人もいるんだよ。ごく少数だけどね。そんな人になんでもかんでも「私HSPだからっ!」なんてその人に全てを放り投げるなんて、HSPのやることじゃない。そんなの心が読めないポンコツがやることよ。
そしてそれだけじゃなくて、より重度のHSPの方々にも申し訳なくて仕方がない。あまりに辛すぎて日々の生活もままならない人だっているのに、ちょっとその性質があるからってHSP代表ですみたいな顔されたって、ねえ。それじゃHSPの本質的なところが伝わらないし広まらないし、HSPが誤解されるだけ。何においても軽度の表面的な部分だけを見て、そのことについて議論なんてしないでしょう?眼鏡がなくても日々そこまで困らない人が「視力が悪いとこんなにも日々困るんですよ」なんて言ってたって、重度の近視・遠視に乱視まで合わせた人々に「ばっかじゃないの」といわれるのがオチよ。
つまりは何が言いたかったかというと、できれば良い関係性でいたいのだけれど、どうかしら。こっちはこっちでHSPがどういう感じなのか頑張って少しずつ伝えるからさ、そっちはそっちで波風立てずに穏やかに対応してくれないかしら。同情なんていらないし、全部理解できるとも思っていない。良い距離感と思いやり。ささやかな配慮と丁寧な言葉。紳士淑女の心持ち。それがあれば私たちどんなときもきっとうまくやっていける。
ああ、いろいろ考えたら、なんだかしんどくなってきた。今日も自分以外の皆に失礼なことをしている気がする。あーあ、誰かの気を悪くさせてないといいんだけど。なにも喋ってないし、誰にも伝えていないから、こんなことを思ってるなんて自分しか知らないから、気を悪くする人なんていないんだけど。いや、でも、やっぱり、ね。誰も知らなくても自分は知っている。だからごめんなさい。
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YouTube上にあがっていたHSPの特集動画を見て、きっと様々なことを思ったに違いない。一瞬暗い顔をしたのち、そのままの深いため息とともにベットに潜り直す。そしてそのまま一日寝込んで休日をぱあにする、HSPの彼女。
HSPとして感じているものの、HSPだからこそ表に出せないホンネ。もしかしたら少し違うのかもしれないけれど、彼女とはもう7年以上一緒にいるから、なんとなく考えていることが分かったり分からなかったり。本当に本当のところはわからないけれど、僕は非HSPだからどうしたってHSPのすべてを知ることはできないのかもしれないけれど、HSPがHSPの性質ゆえに言えないことがたくさんあることぐらいは、せめて理解していたい。
非HSPによる、HSPのための、非HSPにも知ってほしい、非HSPが察するHSPの言葉。
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