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免疫空間・免疫住宅-その3- 免疫空間は縄文住宅から

コロナに負けない免疫空間を考える

縄文時代と元祖日本の家 竪穴式住居 (タテアナシキジュウキョ)を考えます。

さて時代を1万年以上遡りましょう、縄文時代の始まりです。 この頃、世界的にはクロマニヨン人が現れ、ラスコーの洞窟絵が描かれていた頃です。新人といわれる人類が活動し始め、現代人の元になっている時代の始まりです。現代に つながる文明はこのあたりから始まったともいえます。 

縄文時代を代表するものは縄文式土器と竪穴式住居です、その時代をみるときは使われていた道具と建物跡から考察を進めてゆきます。 

縄文土器の特徴は芸術的ともいえる縄目模様と躍動的な形です。比較的低い温度で焼成されているので内部で小さな空洞が多く脆い土器です。 上部が大きく下が細くなっている不安定な形をしていますがこれは下の部分を土に埋めて 使用していたためです。

地中の安定した温度と土中微生物をコントロールして、木の実や 獲物を貯蔵したり、お酒のようなものや発酵食、漬物のようなものに変化させるものでし た。上部の形はエネルギー調整もしていたようです、それによって身体に必要なエネル ギーを持つ食物に変化させ、それを食べることによって身体的進化も促していました。 

縄文土器と住居

                          (写真はnetより拝借)

住居にしても大地に穴を掘り二本の丸柱を立てて茅を葺いて造られています、床は土のままで真ん中で土を掘り薪を焚く囲炉裏のようなもので暖をとったり煮炊きをしていまし た。

床の部分はわざわざ全体を50センチほど掘り下げてあります、何のためなのか、さまざまな説がありますが土中微生物が活性化するのが土中50センチから70センチと言われています。ここに木材のチップを敷き詰めると微生物によって発酵し発酵熱を出し、その上は微生物による天然床暖房になります。

冬でも暖かくそこに寝ていれば今でいう酵素風呂のようになり健康維持ができて、免疫力が上がり大概の病気は治ってしまいます。縄文人は比較的寒いと言われる東北地方でも大きな村を形成していました、微生物と大地のエネルギーを使えば快適に過ごせたことでしょう。

この時代は大地と密接に繋がった生活をしていました、地のエネルギーや土中微生物とともに生きていたのです。

山や海、川のめぐみを採取して暮らし、採取や狩猟に必要なものや、暮らしに必要なものを作って暮らしていました。稲作はまだ伝わっていないといわれていますが、縄文時代はまだ人口もすくなく、わざわざ手のかかるイネを作らなくても大地の恵みで十分暮らしてゆけたのです。

縄文人の食事は植物系が中心で山や海、川で採れたものをそれほど調理することもなく食べていました。ほとんどの食品は今でいえば自然食品と発酵食品です。発酵食品はエネルギー効率が高いので少ない量で日常活動は十分行えます、重労働や戦争をする必要がないので必要以上に採取することも、貯蔵することも必要ありませんでした。

食べるための労働や奪うための争いが無いので、創り出すものは時間をかけた芸術的で手の込んだものになります。縄文土器にしろ竪穴式住居にしろ芸術的で機能的で、それも使いやすいという単純な機能だけにとどまらず、低温度で焼いて多孔体にして発酵に必要な微生物が活動しやすいようにしてあったり、上部に付けられた炎のような形状は大地の波長を受信するアンテナのような役わりもあったようです。

まさに芸術と道具と霊性が融合していたのです。

上の縄文土器と竪穴式住居の写真をご覧ください、どちらも美しく神聖な感じさえします。争いや狂気、邪気など微塵も感じられません。縄文時代はこのような美しいものがあたり前に創り出される環境でした。

縄文の人々の方が天空や大地のエネルギーの使い方や関わり方ははるかに上手でした。

縄文の遺跡からは武器は発掘されていません、争いがなかったのです。狼のような人を襲う獣もいない平和な世界でした。
ここは争いも狂気や邪気もなく、言葉や文字さえ必要としなくてテレパシーのように相手の意図を感じ取れたのです。縄文時代は相手を思いやる心のある、世界に誇れる環境だったのかもしれません。

そして次の時代が始まります。

紀元前500年頃に大陸から渡来人がやって来ます、この頃は大陸の統一者となった始皇帝以前の争いの時代です。やって来た渡来人は敗北した兵士だったり、追われた種族だったりで平和な人々ではありません。7500年程続いた平和な縄文時代が終焉を 迎え弥生時代の始まりです。 

弥生時代以前の7500年間の間に世界ではメソポタミアに文明が生まれギリシャ文明が栄え、黄河文明も始まりました。それらの文明も滅び新しい文明に移り変わっていきます。ヨーロッパやエジプ ト、インド、中国では数々の国や文明が生まれ、争いがおきて滅んだりまた生まれたりしてい ました。

  日本はなぜか縄文時代が長く続いていて新しい文明が生まれたり、滅んだりした形跡がありま せん。国という概念がなかったので、争いも無く平和な暮らしが長く続いたようで す、ちょっと不思議ですね。 でもこれが一番大切なことです。

日本に稲作が伝わった頃、孔子(BC551)が生まれたり釈尊BC463)が生まれたりしていま す。卑弥呼が登場するのはまだ500年程先になります。 

弥生式土器と高床式住居

稲作が伝わり弥生時代に入ると土器も住居も途端に大きく変わりました、まるで別物で す。7500年続いたものが一瞬で変わりました。 それほど多くの渡来人がやって来たのでしょう。

弥生式土器は縄文式土器に比べて高温焼成されていて硬く丈夫で、ある種の規格に添って 作られています、それによって同じものが多数作れるようになりました。 並べて貯蔵し、他者との交換もしやすくなりました。 
縄文土器にあったような装飾性や芸術性は無くなりました。戦いや略奪、侵略が中心になる時代には必要とされませんでした。

流通経済の誕生です。

稲作が伝わったことで自然の恵みを得る生活から耕作の生活に変わりました、道具の規格化と量産によって貯蔵、流通、交換ができるようになりました。

そして労働が誕生しました。必要のためではなく貯蔵のために生産を行うようになりました。

住居も大地に触れる生活から床を高くして大地から離れました、貯蔵を考えるとその方が 効率がいいからです。床を高くした方が貯蔵したものが水害や小動物、腐敗から守りやすくなります、何千年も続いた土中微生物、地のエネルギーから距離を取りだしたのです。

縄文式土器と弥生式土器、竪穴式住居と高床式住居を比べてみると、時と共に進化するはずなのになんともいただけません。目的が大量に生産する、流通しやすくする、経済や争いの中から必要とされるものはなんとも味気ないものですね。時代が必要としていることなのでいたしかたないのですが、、、

耕作、貯蔵、流通が始まると耕作を共にする小さなグループができ、それが集まって村に なってゆきました、そしてリーダーが現れます。 
稲のたくさん取れる村とそうでない村はいずれ富める村と貧しい村になります。富める村は貧 しい村を吸収しようとし、貧しい村は富める村から奪おうとして争いが始まりました。 

小さなグループは国になってゆき、そこのリーダーは国王になってゆきます。小さな国がたくさんでき国同士の争いが始まりました。

  7500年以上も続いた平和な縄文時代が嘘のようです。 

最初は国を治めるということにも慣れていませんし、まだ人としてのレベルもそれほど高くないので強い力で治めようとしますが争いが絶えることはありませんでした。

そこで現れて来たのが肉体 を持たないもの、人間ではないものによる統治でした。 

占術、呪術、肉体を持たないもの、神の声を伝える者が現れます、それが国を治める中心 になってゆきます。卑弥呼がそうであり、天皇がそれらの役割りを担いました。天皇はもともと神の声を伝える役割でした。 

目に見えないもの、肉体のないものは滅ぼすことができません、自然災害からはのがれることはできません。 それらのものを使って国を治めてゆきます。それを象徴とし、それにともなう儀式が 次々と造られてゆきました。 

いよいよ宗教の始まりです。

免疫空間、免疫住宅 ーその4ー につづく



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