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マタニティマークを付けられない


幾度となく羨望のまなざしを送り、一方でそれを身に付けられない自分と比べて悲しくなったマタニティマーク。

いつかワタシもあのマークをカバンにつけるんだ!と前向きな気持ちにもなった。ワタシは一生、あのマークを身につけられないかもしれないと悲観的にもなった。


数年越しに念願叶い、ワタシは"妊婦"になることができた。でも、母子手帳共に手渡された、ふわっとしたビニール製のマークを、どうしても身につける気にならなかった。

きっと自分自身が思っているよりも、不妊治療中にマークによってココロを抉られていたのだと思う。それはもう、誰にも言えない、いうべきではないドス黒い感情。

あれを身に付けると、妊婦アピールだと思われるのではないか。ロゼットのマタニティマークは、浮かれた妊婦みたいでもってのほか。他人からの過度な配慮は求めていないし、ワタシのこのマークで誰かが傷付いたらどうしよう。嫌がらせされることだってあるらしい。


めちゃくちゃに拗らせている。


それでもさすがに公共交通機関を利用するときにはつけることにした。配慮されたいわけではない。混雑した車内で優先席に座ることへの免罪符のような感覚だった。つわりで気持ち悪いときに、「頼むから座らせてくれ」の気持ちを正当化するため。あとは万が一のことが起きた際に、妊婦であると知らせるために。

そんなややこしいことを考えて、理由づけしないと付けられなかった。いざという時に隠せるように、表はキティちゃんで、裏にマタニティマークのアレが書かれたキーホルダーをメルカリで買った。


"浮かれ妊婦"で言うと、戌の日のお参りに行ったことをSNSに載せる感覚も理解ができなかった。これは自分が妊娠してからより一層強くそう思う。


先日、友人の結婚式に参列した。その際に、妊婦だということを事前に伝え、生ものやアルコールについて配慮してもらった。信用しているので、できればさりげなくこっそりしてもらいたかった。けれど披露宴の円卓の椅子にはワタシだけクッションが置いてあり、加熱済みに変更した料理は、一皿ずつご丁寧に説明してくれた。
特別隠したかったわけではなかったけれど、さすがに同じテーブルの人にはバレた。


数年にわたって傷ついてきたココロは、願いが叶ったところでそう簡単には修復しないことがわかった。そして、ワタシはめんどくさい拗らせ人間であるということもわかった。うれしいから言いたい、けど知られたくない。生きづらいね。


オワリ

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