ポケモンスリープと消費社会

ポケモンスリープがリリースされたので、なんとなくやってみました。

なんか良い悪いを評価するっていうのも新次元なゲームだなって思ったのでメモです。

書こうと思ったきっかけ

ポケモンスリープを触ってみて、「これ、みんなはどう感じてるんだろ?」と思ってしまい。最近、自分がゲームに対して感じてる感情のほかにみんなの意見を求めるような習慣になってきてるなって思いました。

そのこと自体は悪い事ではないし、やっていくべきなんだけど。「どういうアンケートがいいかな、、単純にわかりやすく『良い or 悪い』で聞くか」って思った後に。

なんとなくポケモンスリープというアプリを深く考えたら「なんかそれは違うというか。。このアプリの凄さ感じる」と謎のもやもやがでてきました。

楽しさの結果がでるまで時間がかかる

ポケモンスリープにも短めなチュートリアルがあるんですが、まずそのチュートリアルをやるために「寝る」という行為をしないといけないのです。

まあ、人間「ゲームダウンロードしたぞ!早く遊びたいから今朝昼だけど寝るか!」となるわけでもなく。まあまあ夜まで待てよといったんアプリを放置する時間ができます。

いざ、チュートリアルが終わって、ゲームらしい画面になったので、「さあ!どんどん進めるぞ!」となっても。ゲームの割とキモの部分はやっぱり睡眠で得られるポイントによって進行するので、一度アプリを閉じるような結果になる気がします。

「これ、いま、というか今日明日で『良い or 悪い』って判断できるゲームじゃねぇな」とそれを見て感じました。

ある意味現代のソシャゲに対するアンチテーゼ

現代社会においては、ソーシャルゲームもパッケージソフト(コンシューマーのゲーム)も、「よっしゃ!DLしたぜ(買ったぜ)!!今日中にレベル中盤だ!!」だったり、よくあるリセマラから始めたり。翌日にレビュー記事だったり、感想ツイートがあふれる世の中ですが。

消費社会とよく言われるけど、それらの典型な気がします。

ポケモンスリープはゲームアプリという側面と同時に「健康管理アプリ」という面も多く含んでいるので、一概に最近のゲーム動向のものとは当てはまらないのかもしれないですが(体重計やら冷蔵庫みたいな家電買ってその日に「どう?良い?悪い?」とはならないように)。

ゲームだろうがなんだろうが、ソフトを作った際の「より長く楽しんでほしい」という部分が強く感じられるような気がします。

ゲーム脳といわれれば脳トレをだしたり、ゲームに温かみが無いと言われればニンテンドックスで新しい体験を作ったり、ゲームは人を殺す事しかしないと言われればどうぶつの森でうまく MMORPG のお作法を流用したゲームを作ったり。

なにかしら社会のゲームへの問題定義にだしてきた任天堂ゲームだからこそ。ポケモンスリープは「そんなにあせってゲームしなくてもいいんじゃない?」ってメッセージを少し感じるような気がしました。

おまけで

さらにいうと、ゲームリリースの翌日に「良い or 悪い」で答えを求めるのも、その社会のスピードに乗りすぎてる証拠なんかなって感じ。

もうちょっと落ち着いた見方できるようになりたいなと反省する、とも思った今日です。

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