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山を歩くことは旅することだ

「あなたにとって山とは何か?」

そんなことが不意に問われたのは、忙しないお盆の時期が始まる直前の針ノ木岳登山口でのことだった。僕は登山届を書いていて、まだうる覚えの新しい住所を必死に思い出そうとしていた。僕は不意に投げかけられた質問に動揺しながらも、手を止めずその問いの答えを考えた。答えを出すのにさほど時間はかからなかった。

「歩く旅です」

僕はそう答えた。その質問をしてきたのは登山相談所にいた女性の指導員だった。彼女は僕が登山届を書く様子をじっと見ていた。僕は彼女に何か指摘されるのではないかとヒヤヒヤしていた。そしてじわりと質問が始まった。最初は登山の計画について細かく聞かれ、まるで事情聴取でも受けているかのようで居心地が悪かった。そしてふと先の質問が投げかけられたのだ。そこで僕の緊張はほぐれた。

僕の答えはシンプルだったが、彼女は興味深く受け取ってくれた。「詩的だ」と言われ少々恥ずかしかった。そこから30分以上話しただろうか、話は山のことだけでなく僕の人生そのものへと移る。それはもはや人生相談だった。彼女の言葉はなかなか出口の見出せない日々に悶々としている僕には必要なものだった。僕は重たいザックを背負ったまま耳を傾ける。

僕はこの出会いを楽しんでいた。これから歩く距離は大したことなかったので急いでなかった。それよりもこの出会いを噛みしめる方が今の自分には大切な気がした。想定外な一瞬の出会いが、自分で立てた計画を思い通りに遂行するよりも大事であることに気づかされる。

僕はその奇妙な出会いを名残り惜しみながら、登山口から歩き出した。空は雲に覆われどんよりとしていた。ただただ登るだけの道だった。普段なら頭の中であれこれ考えてしまう格好の状況だったが、この日はそんなこともなく気分よく森を歩くことができた。頭の中で彼女が言った言葉が僕を周りのかけがえのない世界へと意識させてくれる。

僕にとって山は「歩く旅」をする舞台だ。つまり山を歩くことは旅をすることだ。10年以上前大学休学中アジアを放浪し「バックパック一つで半年旅したこと」におもしろさを覚え、その延長で登山を始めるようになった。だから僕は百名山制覇とか富士山登頂とか興味なく、自分で衣食住を担いでより長く自然の中を歩きたいと思っている。山を歩くのは異国を旅するのに似ていると思う。非日常の中を、自分の足で行きたい場所を目指す。山旅はまさにバックパッカー旅なのだ。そして何よりも旅を豊かにしてくれるのは出会いである。

今回2日という短い期間にしては濃い旅だったように思う。晴れた雄大な景色が見ることができたのは2日目の針ノ木岳山頂までのほんの数時間だった(それが一番見たかった景色なのでラッキーだ)。にしても充実したものになったと思えるのは束の間の景色だけでなく、山の中で出会った人や生き物たちのおかげに他ならない。

登山口で僕を待ち受けたかのように始まる会話。山小屋でひとりでビールを飲んでいても誰かが来て山の話が始まりその話がさらに人を呼ぶ。ガスに覆われた登山道ですれ違いざまに交わすほんの短い会話でさえも、孤独に歩くお互いの士気を高めてくれる。足元に咲く可憐な花や突然姿を表す雷鳥の親子には顔が綻ぶ。今回の短い旅の間でも、これらの出会いが旅を豊かなものにしてくれた。

山で交わされる話は山の話だ。山ではすれ違えば必ずあいさつをするし、そこから会話が始まることだってある。地上では滅多に起こり得ない、まさに異文化のコミュニケーションだなと僕は思う。ふとそれらがかつて海外を旅していたときに出会った旅人との旅の話をしたことや、すれ違いざまに始まる会話に似ていることに気づいて嬉しくなった。

やっぱり山歩きは旅なんだな。そう思いながら僕は山を下り短い旅を終えた。

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