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はじめまして。株式会社ユニラボ創業者で代表取締役の栗山規夫と申します。


お取引様各位にはいつも大変お世話になっております。この場をお借りして心より御礼申し上げます。


さて、私栗山は、SNSで情報発信を行ったり、ベンチャー界隈のイベントなどへ参加することも少ないもので、せっかくの機会ですから、この場にて簡単な自己紹介をさせていただきます。


社会人の出発点として選んだのは三菱商事です。2003年のことでした。

石炭や鉄鉱石を扱う金属グループに経理担当として配属され、スケールの大きな貿易実務に携わることができました。


三菱商事では4月1日に入社式はなかったのですが、当時の人事部長が「伸びる人材の共通点は、素直さと直向きさ」とエールを送ってくれたことを今でも覚えており、あれから15年以上経ってからも、大切な言葉として新卒社員に伝えています。

日本を代表する大企業のスケール感と、三菱グループの格式高い伝統に触れ、社会人としてのキャリアをスタートできたことはとても幸運でした。


ところが、仕事も面白くなってきた2年目の夏に転職を決断するに至ります。

20代のうちに、自分で事業を興してみたい」という強い願望があり、大企業のゆっくりとしたスピード感に危機感を覚えていました。そして、いつしかそれが焦りにつながっていきました。

家族や先輩、知人すべてに反対されましたが、私は憧れだった商社マンになることはせず、道半ばで退職をしました。社会に出て2年目にして安定キャリア路線から外れ、自分の意思だけで人生を歩んでいく道を選択することにしたのです。


2社目に選んだのはディー・エヌ・エー(DeNA)でした。
ITベンチャーと言えば渋谷ですが、当時DeNAの本社があったのは、渋谷駅周辺ではなく、笹塚という渋谷区の外れです。
商店街の先にあるオフィスは熱狂が渦巻く戦国時代のような環境で、三菱商事とは全くの別世界が待っていました。


当時24歳、同い年の直属の上司は、私よりも1年先に都市銀行を退職してベンチャー(DeNA)に飛び込んでいました。以来、20代を共に過ごし、生涯の仲間となります。

同じグループには私のような大企業を飛び出してきた者、官僚から転身した者などが集う、さながら人種のるつぼのような会社で、刺激に満ちあふれた毎日を過ごすことができました。


オークション(EC)サイトの法人会員獲得を担当し、入社初日から1日300件のテレアポをしました。その後、営業での実績が認められ、営業部長、事業部長、執行役員となり、気がつけば会社を代表するようなシーンが多くなっていました。


2004年当時はインターネット業界そのものに胡散臭さが残っていた時代です。私が主に取り組んでいたことで言えば、当時3兆円程度だったEC市場は、現在は20兆円近い巨大市場に成長。(経産省のデータではいずれも2004年→2016年で、BtoB:102.7兆円→204.8兆円、BtoC:5.6兆円→15.1兆円です)


また、インターネット広告市場は、当時3,000億円程度だったものが、1兆円の大台に乗り、新聞を抜き、テレビにも迫る勢いです。(電通のデータでは2004年→2016年で、1,814億円→1兆378億円です)
文字通り、インターネットサービスは、インフラとして台頭することとなりました。

10年という月日が流れ、あとから振り返ると、自分たちが信じてやってきたこと(ECやインターネット広告の普及)は、意味のあることだったと胸を張ることができます。


入社した際に社員100名程度だったDeNAが、2011年に卒業するときには1,000人を超え、時価総額数千億円の大企業になろうとは、そのとき想像すらしていませんでした。

私にとってDeNAは一言で言えば「青春」で、言葉では言い表せない宝物です。


「あんなに大好きだったのになんで辞めたのだろう」と今でも思うときがありますが、ソーシャルゲーム事業が全盛期を迎え、ベイスターズを買収する手前で、独立することを決めました。周りの方々にご迷惑をおかけしましたが、無理を言って送り出していただきました。

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  ※DeNA時代の営業部で全社目標を達成したときの写真(2007年)


時は2011年、フリーランスはノマドと呼ばれ、東京の至る所にコワーキングスペースが次々誕生していきました。ベンチャーキャピタルの在り方が変わり、少額投資と呼ばれる投資マネーが東京中どこに行ってもあふれていた時代です。これを第三次ベンチャーブームと呼ぶ人もいます。そんな中で創業に向けて踏み出しました。


独立して初年度は私自身のインプット(学習)の時間に充てました。

大手人材企業の新規事業立ち上げをご一緒させていただいたり、知人のサービス立ち上げを手伝ったりしながら、あえてこれまで注力してきたECやゲームなどの事業領域ではなく、自身にとって経験のない分野のお仕事を手伝うようにしていました。

その経験も踏まえ、改めてインターネットサービスの可能性に向き合い、研究し、主にアメリカでの最先端技術やビジネスモデルについてじっくりと検討していきました。


ただ、フリーランスになってみて分かったのは、1人では生きていけないということ。

自宅やコワーキングスペース、クライアントの間を往復する日々は、刺激に満ちあふれたDeNA時代のそれと比べて寂しく、自由とは何かを痛感し、自分自身は組織人として集団の中でしか生きていけないという結論にも至りました。

フリーランスライフには正直1年も持たずに飽きを覚え、一緒に事を成していく仲間を求めるようになりました。そして2012年、信頼できる2人の仲間とともに株式会社ユニラボを創業します。

資本金500万円でのスタートで、いくつかの試行錯誤をする中から、2014年に現在の主事業である「アイミツ」をローンチしました。

ローンチから1年半で単月黒字化を遂げ、3期目には通年黒字も果たし、現在も順調な成長を遂げています。


なぜ、私はユニラボを創業したのか。

そしてどうやってアイミツという事業と出会ったのか、次の回で紹介していきます。


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※創業時(2013年)の目黒オフィスにて。働いているのは当時のインターン生たち。


※こちらの記事は、2017.10.01にユニラボ公式のブログで発表されたものです。

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