見出し画像

時間の使い方

やることがない時、人はどうするか、何かをしようと一生懸命探す。しかしやる事が無いのではなく見つけられていないだけなのでは無いだろうか。仕事について言えば、言われたことしかしない人、言われていないが必要な事を自ら探し、仕事を進める人、それでも給料は変わらないのである。やる事を見つけられる力、というのは、その能力自体を否定しているのでは無いのではないか。
仕事では無いだろうけど、やることが無いという状況は起こり得るか、私はそうでは無いと思う。家にいて家族がいるとしても1人暮らしであったとしてもやる事はいくらでもある。掃除、洗濯、炊事など自分のやる事として思っていないからこそ、やる事がないと言えるのだろう。やる事がないことを“暇”という人がいる。やる事を無いことを暇という時間は自分が作り出す時間である。“暇を潰す”というよりは暇という時間を作ったと言うべきだろう。そもそも暇を潰すという語源は時間的余裕が生じた際などに本来要求されていない行為、作業を実施することにより時間を消費する代替行為とも書いてある。語源に基づいても、時間的余裕が意図してつくったものであれ、意図せず出来たものであれ本来予定していなかったことをする。“時間”が出来た、作られたと考えられないか。よく暇つぶしに○○をしていたと言う人がいるが、暇つぶしに○○するということは、○○する時間を“暇”という時間枠に当てはめて、行為行動を行っただけである。本来、暇という時間は、個人的には何もすることの無い“余った”時間だが私にとっては余ったことで何かをすることが出来ると考えている。暇だなというのは“何かをする時間が急にできてしまったから何をしたらいいのか分からない”という混乱から来た言葉では無いかとも思う。“暇つぶしに○○していた”というのは、寧ろプラスに考えられる言葉ではないだろうか。“暇”という自由な時間ができたから何をしようかと考えては前向きに物事を一つ一つ捉えられるようになるのでは無いかと思う。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?