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英国人写真家の見た日本 (H.G ポンティング)

 スコット南極探検隊の映像記録を残したポンティングは、日露戦争を挟んで延べ3年間日本に滞在しました。

 その間、様々な人々と交流をし、また日本各地を訪れ多くの貴重な経験をしました。京都の名工を訪ねたかと思うと、浅間山噴火に遭遇し、富士登山・保津川下りなども楽しみました。
 その情景描写は細やかで豊かです。その土地土地で出会った日本人に対する暖かな視線は、その文章とともに掲載された多くの写真で証明されています。

 本書の多くを占めるそういった日本各地の情景描写や人物描写の中で、一点、色合いの異なる叙述があったのが、鎌倉鶴岡八幡宮に係る一節でした。

 ポンディング氏は、日露戦争での旅順陥落の翌日、鶴岡八幡宮に訪れました。そこで、勝利のお礼参りに集まる日本の老若男女を目にしました。その姿は全く静かで、意気揚々とした様子のかけらもなかったと言います。

(p280より引用) この優しい妻たちや年老いた両親が、控え目な態度で心中は不安に苦しみながら、この軍神の神社に集まって、頭を下げて祈る光景を見て私は心が痛むのを感じた。

 ポンディング氏は、外国人として初めて日本陸軍に従軍しました。そして、日露戦争に参加し、生の軍人を通して日本人を見るという稀有な体験をしたのです。

(p282より引用) 日露戦争の間、日本の兵隊は戦死を熱望し、その妻や両親も彼が国のために死ぬことを願って送り出すのだという誇張された報道が多く見られた。こういう記事は日本に初めて来たばかりの記者によって書かれたもので、彼らは日本人や日本語を全く理解せずに、この絵のように美しい国に感激のあまり、事実を歪曲して描いたのである。日本人の間に何年も生活した経験がないかぎり、日本人の心の奥にあるものを理解することは誰にもできない。・・・私は戦場や病院や家庭で、数多くの日本の兵隊や両親たちに会って話をしたが、自分が死にたいと思った兵隊は一人もいなかったし、息子や夫が戦死することを願うような非人間的な父親も母親も妻も一人としていなかった。

 一流の写真家であると同時に、一重のジャーナリストとしての矜持とそれを支える確かな眼力を感じます。


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