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晩年に想う (アインシュタイン)

晩年に想う (1)

(p37より引用) あらゆる個人が、自らの内に潜んでいるかもしれない天与の才能を、発展させる機会をもたねばならない、ということです。このようにしてこそ初めて、個人は正当に享受すべき権利のある満足を得ることができます。またそのようにすることによってのみ、共同社会はもっとも豊かな繁栄を達成することができるのです。・・・
 我々が個人や諸集団のあいだの差異に寛大であるばかりでなく、まさにその差異を歓迎し、それを我々の生存を豊かならしめるものと見なすべきだ、・・・それが、真の寛容すべてに通じる本質です。このもっとも広い意味における寛容がなければ、真の道徳性という問題はありえません。

 差異のあることはむしろ喜ぶべきことで、積極的な意味で人間社会を豊かにするとの主張です。アインシュタインは、そういう自由・多様性への寛容を何にも増して重要だと考えていました。

 この本から私が感じたのは、アインシュタインは大きく異なる2つの生涯を過ごしたのではないかということです。
 「相対性理論の提唱に代表される科学者としての壮年期」「世界政府設立を訴え続けた政治行動家としての晩年期」です。

 この大いなる変身の分水嶺になったのが、第二次世界大戦であり、とりわけ広島・長崎への原子爆弾の使用でした。「O weh!(ああ悲しい!)」広島に原爆が投下されたことを知ったとき、彼はそう叫んだと伝えられています。
 1945年12月「戦争には勝ったが平和はこない」と語り、「最新の原子爆弾は、広島の都市以上のものを破壊してしまった。われわれに、こびりついた時代遅れの政治観念をも、吹き飛ばしたのである。」として、終戦直後から「世界政府」設立に精力を注ぎ始めたのでした。

 「世界政府」による平和の実現というアインシュタインの主張は、当時の国際政治の現状から見るとあまりに直線的で理想的なものでした。
 また、「世界政府」による平和実現の具体的方策は、核保有を前提とした核抑止理論を基礎においていました。その点においては、私は彼の主張に100%同意をするものではありませんが、彼の平和を望む想いは、この上なく純粋で堅固なものであったことは間違いありません。

晩年に想う (2)

(p302より引用) 現代は、人間の知的発展における進歩を、誇りとしています。・・・知性は、いうまでもなく強力な筋肉はもってはいますが、人格をもってはおりません。それは指導することはできず、奉仕することができるだけなのです。また知性は、指導者を選択するに当たって、けっしてより好みはしません。・・・知性は、鋭い鑑識眼をもってはいますが、目的や価値にかんしては盲目です。

 偉大な科学者は、自らの反省も込めているのでしょうか、自虐的です。「知性は人格をもっていない」ということは、知性には「良心がない」ということになります。知性(科学)の危うさです。
 知性は「人間」に宿るのですから、科学「者」には、科学の罪について、責任の一端はあるはずです。
 もちろん、強制や脅迫で自由意思が抑制されていたのであれば、残念ながら心神喪失・心神耗弱状態に等しいと言わざるを得ないのでしょう。

てんこさんのコメントに

 論語風にいえば、子貢と孔子の違いみたいなもんでしょうか。知性は器であると。知性と徳性は概念としては別のものですが、人格の中では無縁ではないというか、無縁であってはいけないものでしょうね。しかし時代や状況がそれを妨げることもあるって、アインシュタインは言いたかったのかな。知性が徳性を凌駕するとき、とてつもない悲劇が起こりうることもあります。けれどもそれならなぜそれが起こらないような仕組みがないのか。バランスの崩れから、新しいものが生まれることもあるからかな。

 てんこさん
 コメント、ありがとうございます。
 アインシュタインの戦争や平和についての想いを辿ると、戦争阻止の具体的方法としての兵役拒否を唱えていた時代から、1933年、ナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したときを契機に、それまでの平和思想を突然くつがえしナチスへの武力による対抗を訴えたといいます。そして、1939年8月、彼は、ルーズベルト大統領宛の原爆の開発をうながす手紙に署名したのです。その後、ドイツ降伏が目前となった頃、原爆使用に反対する科学者たちの動きを受けて、再び、彼は今度は「原爆投下反対」の大統領宛手紙に署名したのでした。
 戦後、アインシュタインは、彼の平和への姿勢を問う手紙に対して次のように返信したといいます。
「原爆が、人類にとって恐るべき結果をもたらすことを、私は知っていました。しかし、ドイツでも、原爆開発に 成功するかも知れないという可能性が、私にサインさせたのです。・・・(彼にとって戦争が許される条件は、)私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合です。」
(上記の内容は、ハンドルネームKMさんのHPを参考にさせていただきました)



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