見出し画像

兵法家伝書 (柳生 宗矩)

兵法家伝書

(p22より引用) 治まれる時乱をわすれざる、是兵法也。国の機を見て、みだれむ事をしり、いまだみだれざるに治むる、是又兵法也。

 本書は、巻末の解説によると、「新陰柳生流の基本的伝書」で、1632年、柳生但馬守宗矩が62歳のときに完成されたとのことです。
 本論にあたるのは、「習いの外の別伝」とも言われる「殺人(せつにん)刀」「活人剣」の2部で、新陰柳生流の技法・心法上の理論的体系を詳しく記したものです。

 内容は表層的なHow Toの伝授にとどまらず、むしろ人が人ともしくは何がしかの対象と相対する際の基本的姿勢を著しています。
 具体的な剣法の指南書的な部分においても、その根底には、「禅」「能」等に出自のある思想が流れているのです。

 二代将軍秀忠の世に「将軍家兵法師範」となり、また三代将軍家光とは生涯にわたる親密な交わりを交わした宗矩は、「乱世には世を治めるために殺人刀を用い、治世には人を生かすために活人剣を用いる」との心で伝書を残したのでした。

心と身とに懸待あること

(p35より引用) 「懸とは、立ちあふやいなや、一念にかけてきびしく切つてかゝり、先の太刀をいれんとかゝるを懸と云ふ也。・・・待とは、卒尓にきつてかゝらずして、敵のしかくる先を待つを云ふ也。・・・懸待は、かゝると待つとの二也

 「敵をまず先とはたらかせて勝つ」、これは新陰流のあらゆる術・理の本源となる極意とのことですが、ここに「懸待」が登場します。相手に先をとらせるために身を「懸」とし、その後「待」としていた太刀を振るうのです。

 「懸待」は、「身と太刀」、「心と身」、「陰と陽」「静と動」等々、多様な変化形がありますが、その肝は「これらふたつの同時性とバランス」です。「懸待を内外にかけてすべし」、すなわち、一方に偏るのではなく常に相反する二つを同時にバランスよく意識するということです。
 新陰流の達人は、こういった絶妙のバランス感覚をもち、背反するものを極自然にかつ自在に操ることができたのでしょう。

学は門

(p27より引用) 学は道にいたる門なり。此門をとをりて道にいたる也。しかれば学は門也、家にあらず。門を見て家也とおもふ事なかれ。家は門をとをり過ぎて、おくにある物也。学は門なれば、文書をよみて是が道也とおもふ事なかれ。文書は道にいたる門也。

 書物を読み学問を成すことはあくまでも手段であり、目的は道に至ることです。書物を読むことはあくまでも「手段」に過ぎないとの教えです。
 さらに、この「習い」を積むことにより何事も意識せずして自然と理法に適合するようになると言います。

(p30より引用) ならひ得たれば、又習はなく成る也。
 是が諸道の極意向上也。ならひをわすれ、心をすてきつて、一向に我もしらずしてかなふ所が、道の至極也。此一段は、習より入りてならひなきにいたる者也。

 流石の境地です。

平常心(びょうじょうしん)

(p55より引用) 僧古徳に問ふ、如何なるか是れ道。古徳答へて曰く、平常心是れ道。・・・何もなす事なき常の心にて、よろづをする時、よろづの事、難なくするするとゆく也。・・・一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。・・・此平常心をもつて一切の事をなす人、是を名人と云ふ也。

 こうしたい、こうなりたいと強く思う気負った心を「汚染心」というのだそうです。心が汚染されている状態ではなす事は定まりません。汚染心のない状態、常の心の状態で物事にあたるのです。

 常の心は無心とも言います。しかし、ここで誤解をしてはいけません。単に何も考えずことにあたることを是としているわけではありません。

(p58より引用) いつとなく功つもり、稽古かさなれば、はやよくせんとおもふ事そゝとのきて、何事をなすとも、おもはずして無心無念に成りて・・・此時我もしらず、心になす事なくして身手足がする時、十度は十度ながらはずれず。

 日頃の鍛錬の積み重ねの究極に平常心があるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?