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ゲーテ格言集 (高橋 健二)

ゲーテの格言

 「文豪」ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749~1832 ドイツの詩人・劇作家・小説家・科学者)の作品は、私はまだ一冊も読んだことがありませんでした。
 今回は、格言集という少々安直なものでゲーテの作品の一端に触れてみることにしました。

 日常の感性として共感をいだくことばもあれば、今までの自分の関心事に共鳴することばもありました。
 前者の例でいくつかご紹介します。

(p116より引用) 喜んで事をなし、なされた事を喜ぶ人は、幸福である。
(p130より引用) 願望したものを持っていると思いこんでいる時ほど、願望から遠ざかっていることはない。
(p154より引用) 人間は努めている間は迷うものだ。

 また、ゲーテの「自己を重視する姿勢」を強く感じさせる箴言も多く見られます。

(p62より引用) なすことは興味をひくが、なされたものは興味をひかない。
(p122より引用) 人間の持つものの中で、自分自身に基礎をおかぬ力ほど不安定で、はかないものはない。
(p159より引用) 先祖から相続したものをわがものにするためには、改めて獲得せよ。利用しないものは重荷だ。その時々に作ったものでなければ、その時々の役にたたない。

 学問に取り組むうえで、もっと現実的には、会社で業務を進めるうえで参考になりそうなアドバイスもあります。(いきなり高尚な世界からは離れてしまいますが・・・)

(p49より引用) 仮説は、建築する前に設けられ、建物ができ上ると取り払われる足場である。足場は作業する人になくてはならない。たゞ作業する人は足場を建物だと思ってはならない。

 前向きの行動を賞賛し、

(p83より引用) 前進する行動においては、個々の何が賞賛に値するか、非難に値するか、重大であるか、微小であるか、は問題でない。全体においてどんな方向を取ったか、それから結局個人自身にとって、身ぢかな同時代にとって、どんな結果が生じたか、そのため未来にとって何が望めるかが、問題である。

 前向きの意欲を求めます。

(p156より引用) 結局、自己の内に何かを持っているか、他人から得るか、独力で活動するか、他人の力によって活動するか、というのはみな愚問だ。要は、大きな意欲を持ち、それを成就するだけの技能と根気を持つことだ。そのほかのことはどうでもいいのだ。

 格言集・箴言集の類では、以前、「自省録(マルクス・アウレリウス)」 「菜根譚(洪自誠)」も読んでみたのですが、「自省録」は「思索的・経験的」、「菜根譚」は「実務的・現実的」な印象に対し、カントの格言は、至極当たり前ですが「感性的・人間的」な感じがしました。

ゲーテの「わかる」ということ

 以前、このBlogでも「わかる」ということについて話題にしました。
 ゲーテの格言集にも、「わかる」「知る」「理解する」といった点についてのアフォリズムが結構見られます。そのうちのいくつかを紹介します。

(p63より引用) 感覚は欺かない。判断が欺くのだ。
(p130より引用) 人は少ししか知らぬ場合にのみ、知っているなどと言えるのです。多く知るにつれ、次第に疑いが生じて来るものです。

 特に後者の箴言は、まさに「わかる」と「わかったつもり」でのissueと全く同じです。「少ししか知らぬ場合」が「わかったつもり」の状態です。

(p170より引用) 経験したことは理解したと思いこんでいる人がたくさんいる。
(p176より引用) 人はみな、わかることだけ聞いている。

 このあたりの警句は、「わかる」という状態が「自分の認識の範囲内」にとどまっていることを戒めています。この状態は、「従来から自分がもっているステレオタイプのスキーマに(単純に)あてはめ」てわかったつもりになっているに過ぎないのです。
 さらに、単に知っているだけでは意味がないことを告げます。

(p179より引用) 博学はまだ判断ではない。

 最後に、今までの論旨とは無関係ですが、この格言集の中で最も納得感があった警句をご紹介しましょう。

(p146より引用) 革命以前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。




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