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数学的思考法 (芳沢 光雄)

必然の「ひらめき」

 以前大変お世話になった(今でもお世話になっている)方が紹介されている本なので読んでみました。
 実は、私も従来からこの手のテーマに関心をもっていたので、森毅氏の「数学的思考」という本を読もうと思っていたところだったのですが、こちらの本の方がいつも行く図書館にあったので・・・

(p58より引用)・・・「運がよかっただけです」というコメントになるのだが、実際には日頃から特段の試行錯誤をして考え抜いているからこそ、単純なミスや人との出会いという形で、小さいけれども決定的な刺激が与えられ、それが大きな発見や発明を引き起こすのであろう。何も考えずにひたすら偶然の出来事を待っていても、それが発見や発明を引き起こすことはないのは、考えてみれば当たり前のことである。

 「偶然は必然」ということです。
 自分の周りの出来事はほとんどが外発的な事象ですし、その意味では「無数の偶発事象の集合体」です。その無限大の刺激の中の「何に」感じるか? 感じるためには適切な「感覚器官」が無くてはなりませんし、その「機能がon」になっていなくてはなりません。

 何かの課題を抱えていてその課題の解決のために常に頭を回転させていると、指向性のある感覚機能が備わってきます。そして、その鋭敏な感覚機能が常にactiveの状態になっているので、他の人にとっては何でもない事象であっても、それを見逃さず「解決の糸口」として取り込めるのでしょう。

 さらに、そういうふうに何かの課題を考え抜いている人は、仮にそのことを考えていないときであっても、「きっかけ」を見逃さないのです。
 無意識のうちに常にアンテナが3本立っていて「感覚機能がホットスタンバイ状態になっている」のです。それが「ひらめき」と感じられるものの正体だと思います。
 考え抜いていないと、折角の「啓示」は声もかけず通り過ぎて行きます。

(マックス・ウェーバー「職業としての学問」より) 一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。

試行錯誤と説明能力

(p58より引用) 数学の証明問題の前段階では試行錯誤することを学び、後段階では論理的に正確な文を書くことを学んでいる

 私は、特に高校時代は証明問題が大好きでした。文系だったので高等数学のレベルでは全然ありませんが。
 試行錯誤のフェーズが特におもしろく、
  ・過去の類似の問題からの類推(経験)や
  ・発想を変えた思いつき(気づき)
等をああでもないこうでもないと操りながら、何とか筋道を立てていくのです。

 証明問題を考えるコツは、「挟み撃ち」です。
 前提条件から結論に向けて一歩一歩先に進めるのと同時に、結果(証明すべきこと)から逆に手繰っていくのです。「こうなるためには、ここがこうなっていればいい、そのためには、これとこれの相似が言えれば・・・」という感じです。
 この「順行」と「逆行」を同時並行的にあれこれ試行錯誤しながら考えていくと結構道は開けます。

 証明を記述する場合は、まず、そうやって繋がった筋道を説明の材料ごとにブツブツと切って「モジュール化」します。
 そして、それを論理(理由)の流れに沿って、「同様にして」とか「一方」とか「したがって」とかといった証明問題ならではのつなぎ言葉を用いて、素直に並べればいいのです。

 さびしいことに、最近では、そんなテクニカルなことよりもずっと大切な「柔軟な発想」「目から鱗の気づき」ができなくなりつつあります・・・
 


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