複雑系の意匠(中村 量空)
非線形思考
従来から興味があったので、図書館で目についた「複雑系」関係の本を読んでみました。
「複雑系」とは、「大辞林(三省堂)」によると
多くの要素からなり、それらが相互に干渉しあって複雑に振る舞う系。
従来の要素還元による分析では捉えることが困難な生命・気象・経済などの現象に見られる。高精度の測定技術、カオス・フラクタルなどの新概念の導入、コンピュータの活用などによって新しい研究対象となりつつある。
と説明されています。
従来の「単純系」の世界は、対象性・調和を完全と考える前提に立っていました。そこでは、1+1は必ず2になるという「線形思考」が基本となっています。線形システムであれば、それがいくら集積していてもそれは「部分の和が全体の和」になるので結果を予測することは可能です。
他方、「複雑系」は「非線形思考」の世界です。1+1=2とならず、その結果には何がしかの「揺らぎ」が加わるとのことです。
各要素が揺らぎ幅を持ちながら関連しあっている「複雑系=非線形」の世界になると、線形思考は役に立たなくなります。
「ガチガチの線形思考」だけだと、現代社会では「所与の前提」となっている「変化」への対応に立ち遅れることになってしまうのです。
(p98より引用) 「非線形思考」による思考回路は、一定周期で循環するのではなく、まるで「ジャパニーズ・アトラクター」のように変動しながら徐々に拡散していく。そして思考の分岐点までくると、劇的な変化に対応した思考の飛躍が生じる。これこそが「非線形思考」に特有の、思考の柔軟性なのである。
また、変化への適応度を高めるためには、適度の「揺らぎ=遊び・ぶれ」が必要になります。
(p104より引用) 進化の歴史を見ればわかるように、生物はさまざまな環境の変化に適応しながら生きのびてきた。特定の環境のもとで最大の効率を発揮するようにつくられた組織は、環境が変われば効率が悪くなり、やがて使いものにならなくなるだろう。その意味でいえば、環境への適応度をさげたほうがよい。しかし、逆に適応度がさがりすぎると、生物は死滅してしまうのである。
成熟した組織は、現環境に適応している分だけ、環境の変化に対しては対応不全を起しがちです。
今、うまくいっている組織ほど変わらなくてはならないのです。
乱雑≠複雑
(p184より引用) 秩序と乱雑の二つの世界は、いずれも複雑なものではない。私たちにとって厄介なのは、両者の間に位置する世界である。秩序がありそうだが、なさそうでもある。乱雑なようでもあるが、乱雑でないようでもある。わかりそうでわからない。そのような世界が、私たちにとってむずかしい複雑な世界なのである。
秩序だった世界でかつ十分な情報を得ることができれば、結果の予測の確度は高く判断には困りません。
また、情報が全くなく完全に乱雑な対象だと、今度は、純粋に「確率論」として割り切って判断することができます。
(p184より引用)複雑さの原因は「中途半端な情報量」にある。この程度の情報では、さまざまな憶測が可能となり、「複雑度が増大」してしまう。情報が十分にある場合とまったくない場合には、逆に「複雑度は減少」する。
現実的には、100%十分な情報が揃うことも極めて稀ですし、また、全く情報がないということもめったにありません。
そういった状況下では、(私などは)やはり少しでも情報が多い方がより適切な判断に近づく可能性があるのでは、と思ってしまいます。「溺れるものは藁をもすがる」との気持ちです。
そうなると後は、集めた情報の「頼りがい」次第になります。「情報の正確性・信憑性」や「情報に含まれる揺らぎ」等をどう見極めて、少しでもマシな道を選ぶかということです。(まあ、その判断も全体の中では「揺らぎ」の範囲内ということで程度問題に過ぎないかもしれませんが・・・)
結局のところ、最終的には、「やばいと思ったときに素早くハンドルを切ることができるかどうか」すなわち「変化への対応能力」が最後の砦になるのでしょう。
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