小説「魔法使いのDNA」/#003
3
恭輔
親父のこと覚えてる?って時々聞かれるんだけど、正直、よくは覚えていない。
あんなに大好きで、トイレの中にまでくっついていっていたくせに、薄情な奴だな、って兄貴は言うんだけど、自分の気持ちとかは別にしてホントによく覚えていないんだから仕方がない。
頭では覚えていないんだけど、街を歩いていて急に胸がきゅうっとなって、意味もわからずに目頭が熱くなる時がある。
例えば、交差点を左に曲がってクスノキ通りに入り、高架の上を電車が走るのが見えた時。
目に映った風景がとても大切な気がして、そして何か懐かしくて、愛おしくて、優しい気持ちになる。
それって親父と一緒に、おそらく手をつないで、見た風景らしい。
頭では認識していないけれど目や耳といった五感の一部が親父のことを覚えていて、大切にしているんじゃないかなってオレは思う。
親父は18年前、オレが5歳の時に死んじゃった。
オレは幼かったからよく覚えていないんだけど、誰かに親父のことを聞かれるとしばらくは「お父さんは箱に入っちゃったんだよ」と答えていたんだそうだ。
でっかい箱だったなあ、ってちょっと記憶にある。
お葬式の時、オカンがグシャグシャに泣いていたのを覚えている。兄貴は泣くのを我慢していたみたいだった。ぐっと力を入れて世界を見ていて、自分がオカンを守るんだと強く決意していたんだろう。
そんな兄貴や悲しんでいる人々の中にいて、オレもわけもわからず悲しくなった。
それで、「おっかしいなあ、あんなにお線香あげたんだからお父さん良くなるはずなんだけどなあ、なんで治んないんだろう、おっかしいなあ。」と言ったらしい。
その言葉を聞いて、「そうだな、何で治んないんだろうな、きっとすぐ治るよな。」と言って、兄貴はオレをぎゅっと抱きしめた。
涙の粒が頭の上に降ってきた。
その時のシーンだけは明確に覚えている。
親父は昔バンドを組んでいたそうで、親父の部屋には昔からギターが2本あった。
1本はヘッドに「D」のロゴが入ったドイツのデューゼンバーグというブランドの水色のギター。
椎名林檎やジョニー・ディップが愛用しているブランドなんだそうだ。
もう1本はpignoseというボリュームのところが豚の鼻の形をした黒いギターで、普通のギターよりも小さい。いわゆるミニギターだけど、本物の楽器には違いない。
親父がはじめてギター手にしたギターは、親父が中学生の夏休みに新聞配達のアルバイトをしたお金に親父のばあちゃんに資金援助をしてもらったお金で買った3万円のヤマハのアコースティックギター。
中学生からギターをはじめるのは決して遅いわけではないけど、結局親父はギターで食っていける程にはうまくはならなかった。
音楽をやるなら早いうちから楽器に馴染んでいたいた方がいい。
音楽雑誌で海外のギタリストのインタビュー記事を読むと、ギターをはじめたのは4歳とか5歳とか書いてある。だから、思い立ったらいつでも子どもがギターを弾きはじめられるようにと、兄貴が3歳の時に買ったのがpignoseのミニギターなんだ。
兄貴もオレも幼稚園の時からピアノを習わされていたけど、兄貴は親父が生きているうちにはギターに興味を示さなかった。親父はきっと残念に思ったことだろう。
これも親父の魔法なのかな。
オレは大学を出て、ギターを携えて、音楽の世界へ進むことになった。
はじめてギターを抱えたのは4歳の時。まだ親父は生きていた。
親父が休みの日にギターを弾いているのを見て、真似をして弾きたいと言った。
親父がpignoseのギターに赤いストラップをつけて、ストラップをしばって長さを調節してオレの肩にかけてくれた。
ミニギターだけど幼稚園児には重かっただろうね。
それから、時々親父と一緒にオレはギターをかき鳴らしたらしい。
もちろん、まだ、コードを押さえたりできないし、メロディを弾けるわけでもないから、本当にかき鳴らしているだけなんだけど。
もっとちゃんと練習をするようになったのは親父がいなくなってから。
小学校3年生の時。
5歳年上の兄貴はもう中学生だった。
兄貴も中学生の時は少し音楽をやろうと思ったみたいだ。時々、自分の部屋でロックを聴きながら、一緒にギターを弾いていた。
幼い頃からずっと兄貴の真似をしてきたオレは、親父が死んでからは、ますます兄貴の後を追うようになった。
兄貴がギターを弾けばオレもギターを弾く。
コードや弾き方は、兄貴に教わった。
親父も若い頃はプロのミュージシャンをめざしていたらしい。
ライブハウスで演奏していた時にはオリジナル曲も半分くらいは演奏していたという話を親戚のおじさんから聞いた。
オリジナル曲の大半は親父が作っていた。
もちろん、歌詞も書いていた。
歌詞をつくるためのメモ書きを書き溜めた何冊かのノートが親父の部屋から見つかって、それはデューゼンバーグの水色のギターとともにオレが相続した。その親父の偉大なる遺産によってオレの目の前にプロのミュージシャンへの道が開けたんだと思っている。
ビデオや音声が残っていないので、親父がどんなメロディでどんな声で歌っていたのかはわからない。
キャッチーな語呂の好い歌詞もあったみたいだけど、オレはまだ手を入れる前の未完成の親父の詩が好きだった。
特に気に入っていたのがこの詩で、実際にこの詩に曲をつけたことがオレのミュージシャンとしてのスタートになった。
#003を最後までお読みいただきありがとうございます。
#004は2/6(月)に配信します。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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