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【鬱日記】ゴミ人間 下

上記の続きです。。

実家に帰ってから、ひたすら自分を鼓舞し、鬱に逃げてはならない、言い訳をしてはならない。鬱は自己責任。親の愚痴にも笑ってかわし、どうにか、どうにか、勉強をしました。
それから軽躁転したり、鬱になったり、を繰り返し、ヨガをしてみたり、朝散歩をしてみたり、日記をつけてみたり、いろいろ工夫をして、耐えました。私としてはできることを一生懸命やりました。「私としては」はずるい言葉ですね。他人からもそう見えてなければ意味がないのです。具体的には「結果」です。
これまた逃げですが、
躁鬱を繰り返してしまうので勉強にも波があり、その気分の制御のために、時間を割かなくてならず、こんなに努力してるのに、非鬱人から易々と抜かれていき、何の人生なのか全くわからなくなってしまいました。人とは生まれた時から何もかも違う、なのに、社会ではあくまで同じスタートとして比べられます。
非鬱人みんなもいろいろ人に言わず苦労しているのでしょう。
もう自分は鬱とか非鬱とかの区別が嫌になりました
みんながみんな頑張っているのに、鬱であると決めているのは自分でないのか。鬱を否定したら、他人と真っ向勝負で比較されなければならない、そのことにただ怯えているだけではないのか。というかもう18歳だろう。そんなことで子供じみた逃げを繰り返すなんて、人間としての恥はないのか。
発狂しそうになりました。
幸せは笑顔から、といいますから、ひたすら笑みを浮かべ、泣きながらにこにこし、人様に迷惑をかけないように、かけないように、としてきました。
夢で勉強をして、叱られる夢を散々みました。ノイローゼだったと思います。
しかし、躁鬱というのは面白いことに、躁の時は、まったく鬱の気持ちがわからないんですね。ですから、自分の鬱の時に書いた日記やツイートを見て、何バカなことをぬかしてるんだろう。暇だなーと思い、よく削除しました。
軽躁のときにお医者に行っても、元気です!としか言えず、鬱の時に行っても、「お前まだ治らないのか」と怒られるのではないかと思い、元気です!と言っていました。当然、親にも祖父母にも元気です!でした。
親や祖父母に申し訳なかったのです。親に、鬱だというと、怒られるし、祖父母に鬱だというと、「私が鬱だ」と言われてしまいました。
小さい頃からお世話になり、このダメ人間を養ってもらってるのに、鬱だと言って失望させてはいけません。さっさと大学受験にも成功しなければなりません。

どうにか10月まで走り抜けました。いいえ、走り抜けたなんて格好の良い言葉を使ってはなりません。10月までへばりついた、というのが正しいです。
11月から体が動かなくなりました。朝は起きられないし、頭もろくに働かない、このままでは志望校に落ちる、中学受験させてもらって多大な学費を払ってもらい、医療費まで出してもらっているのに、と恐怖で怯えました。馬鹿馬鹿しいですね。感情に囚われてまた、去年の繰り返しです。ほんとバカじゃないのか。

12月頭に、痴情でこれもバカみたいなんですが、4年間敬愛してやまなかった師に侍り人ができたとかなんとかで、バカですねえ、パンチをくらったきもちになりました。なんかパンチの回数多くないか??と思い、笑うことしかできませんでした。涙もつきました。人に相談しても、くだらない。今は受験でしょ?と一瞥。ド正論。
ぽっきり、折れてしまいました。頑張れないと思いました。
最後の砦が破壊された気持ちになりました。
神さまや運命は、こうも残酷なんだと思いました。けれどそれも自分が招いたもので、自己責任です。自分の愚かさに狼狽しました。
鼓舞しました。どうにもなりませんでした。
克己心が足りないのです。
体が動かなく、絶望のどん底で、頭は動かず、無力で、無関心で、ただ寝ることしかできませんでした。ニヒリズムに陥っていました。

そうして、ぽっきり折れて、勉強もできないまま、正月を迎え、13、14日の共通テストが近づいてきました。もう何もかも嫌でした。死ぬ気持ちありませんでした。死ぬことの、自由だけは、赦してほしい。と思い続けました。
そんな弱い心に漬け込んだのかコロナに罹患しました。ついでに右耳が聞こえなくなりました。
そして、絶望したまま、オーバードーズをして、死ぬことにしました。
オーバードーズしたところで、肝機能障害になり、ほぼ確実に死ねないのですが、首吊りや飛び降りよりはやっぱり綺麗ですから。
で、結論、ただ気持ち悪くなっただけで、今これを書いていますから、死んでいません。
つまり、人生、ブッダが言ったように、無意味なんです。
魂の修行と言いますが、まあそうなのでしょうが、耐えられません。
ニーチェのように、受動的ニヒリズムに浸り、底つき体験をして、積極的ニヒリズムに変わり、永劫回帰に耐えられたら良いのですが、もう頑張れません。自己啓発や科学的な実践は本を読み、かなりの数、行ってきました。

親のせいに、環境のせいに、する気持ちは全くありません。
私をバイキンと呼び、触ったところを除菌シートで拭き、雪の硬玉を投げつけて罵倒した中学受験塾の生徒、
私のいないLINEグループで罵詈雑言を浴びせ、仲間外れにし、公園のブランコで10人に囲まれ、ダメなところをなん度も言い続けた小学校の生徒、
クラスのLINEに入ったら一斉に抜け出していった、中学生の生徒
幼い頃から、叩いたり蹴ったり殴ったり、「お前は〇〇家の恥だ!」「お前なんか生まれなければ私は幸せだった。」「お前なんて死んで仕舞えばいい」と毎日言った母親、そして今は忘れているが。(殴られて左耳の鼓膜が破れ、耳が聞こえなくなった)
相談したら、「勉強して、見返してやればいいじゃないか。。」「傷ついたのは、自分の受け止め方が悪いんだ」と言い、母親のご機嫌をとり、パチンコに逃げる父親

そんなことはなかったこと。あったとしても、彼らは全く悪くない。私にダメ出ししてくれているんだから。傷ついたなんて、なんて傲慢なんだろう。
私はとっても幸せ。こんなものを書いて何のためになるの。くだらない人生

親から刷り込まれたたくさんの認知機能、フィルター、思考の檻、抜け出さないと、壊さないと、私はいつまでもとらわれつづける。そんなことはなかったこと。そう思うしかないんだろう。
ごめんなさい。赦してください。生きていてごめんなさい。
誤って許されるわけないだろう。


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