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跨座式モノレール「見本市」から規格統一への道のり

日本のモノレールはさまざまな規格が開発されましたが、のちに「日本跨座式」と呼ばれる規格への統一が図られます。初期の「見本市」状態から統一に至るまでの経緯を振り返ります。

(この記事は2018年8月に会員限定記事として配信したものです。)

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全長100kmを超える日本のモノレール

 2017年末、東京モノレールが累計乗車人員30億人を達成しました。1964(昭和39)年に開業した東京モノレールは、日本のモノレールをけん引する存在として、長年空港輸送を担ってきました。現在、国内のモノレールは全国に10事業者あり、12路線・約112kmが運行されています。

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▲現在は100kmを超える路線があるモノレール。とくに跨座式が多い。写真は沖縄の那覇市内を走るゆいレール(2018年7月、鳴海 侑撮影)。

 日本でのモノレールの歴史は実質的には戦後から始まっていますが、1950~1960年代はさまざまな形式のモノレールが出ており、見本市のようでもありました。それが現在では跨座(こざ)式の「日本跨座式」と懸垂式の「サフェージュ式」に集約。とくに日本跨座式の採用例が多くなっています。どのような経緯で統一が図られていったのでしょうか。

国産の「東芝式」は普及せず

 日本で最初に鉄道扱いで開通したモノレールは1957(昭和32)年、上野動物園の西と東を結ぶルートで開業した、東京都交通局の上野懸垂線です。これは世界で唯一の片持ちタイプの懸垂式モノレールを採用。「上野式」とも呼ばれています。

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▲上野動物園内で運行されている懸垂式モノレール(上野式)。懸垂式はほかにフランス技術のサフェージュ式なども開発された(2018年5月、恵 知仁撮影)。

 上野式は東京都内を走る路面電車に代わる公共交通として研究、開発されたものでしたが、最終的には地下鉄の整備を進めることになったこと、さらにはあとで述べる「サフェージュ式」が登場したこともあり、ほかで採用されることはありませんでした。

 日本で発展したのは、懸垂式よりも跨座式のモノレールでした。まず1961(昭和36)年、奈良ドリームランドの遊具施設として日本初の跨座式モノレールが導入されます。これは東芝が開発したもので、その名の通り「東芝式」と呼ばれました。東芝式の特徴は、ゴムタイヤ式で連節車体となっていること、それにより車内をできるだけフラットな空間にしたことです。

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