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世界多分一周旅の影響は、あるにはある。

帰国して1ヶ月。
世界多分一周旅に出発してから1年が経った。
あっという間過ぎてびっくりしている。
冬の始まりに日本を出た1年後、また次の冬の始まりに大阪の自分のマンションを出て、今は温泉地に来ている。
旅行ではなく、短期で温泉旅館の仲居さんの住み込みアルバイトをしてみることにしたのである。
4月から、再びおそらく前職と同じ業界の、医療の現場に戻ることになると思うが、なんとなく、隙間のこの期間に新しいことをしてみたいのと、温泉に毎日無料で入れるということに惹かれて決めた。我ながら、振り幅がありすぎて笑える。関西の温泉地なので、休みの日は大阪に帰ってこられるし、ちょっとした旅行気分を味わえるなと思ったが、今のところ、休みの日や空き時間は寝てばかりいる。
1日勤務しても1万3000歩くらいなので、毎日4〜5万歩ほど歩いていたポルトガルとスペインの歩き旅の日々を思い出せば、なんてことない。
すぐにカビが生えてしまうグアテマラのホームステイ生活に比べれば、きれいな個室の寮で寝起きでき、ご飯も無料で温泉も毎日入れるのだから、最高である。

友達のしめちゃんとやさぐれ会で、「世界一周とかしたら、旅から影響を受けてものすごく何かが変わるとか、人生の転機になったりとかするんちゃうの?」と言われた。
旅に出る前と何も変わらず唐揚げとサイコロステーキを頬張っている私に安心しつつ、なぜこうも変わらないのかが不思議らしい。
海外に住みたくなったとか、英語やスペイン語を使った仕事に就きたいとか、そういう類の気持ちの変化。
それは全くない。
インドに行けば人生観が変わると言われて、30歳の時に初めてインドを旅したが、特に人生観は変わらなかった。ガラッと人生観が変わるほど若くはなかったから。そう思っていた。
46歳で世界多分一周旅をしてもやはり変わらない。
仕事だって、結局前職と同じ業界に戻る予定だし、日本どころか大阪を離れて生きるなんて選択肢は浮かんだことすらない。アイラブ大阪。

しかし、大きな変化こそないが、当然私の人生において、旅は、多少の影響がある。
世界遺産をたくさん見てきて、「わー、きれいやな」で終わらず、そこに人が生活していたこと、していること、宗教や歴史、文化や背景をもっと知りたくなったし、以前よりも興味を持って、知ろうと努めているし面白く感じている。学生時代、社会科が全くダメだったので、今、もう一回センター試験を地理や世界史で受け直したいくらいである。
旅の影響なのか分からないが、日本で生活していて、ちょっと浮いてしまう。
りんごをかじりながら街中を歩いたり、用もなく公園に寄ってベンチで1人でお菓子を食べたり。そんなことをする大人は、あまり大阪にはいないらしい。これを日本社会に馴染ませた折衷案が、ソロキャンプという形なのかも知れないなと、この前キャンプ中に思った。

そして、新しい世界に飛び込むことへの抵抗(不安や緊張)がなくなった。なんでも興味があることをやってみたいし、少しでも行きたい、見たい、やりたい、食べたいと思った欲求を叶えることは、当然だと思っている。(だから太る)
「そういうのは前からやで」としめちゃんに言われたが、自分の中では今回の旅の前よりも強くというか、軽く、自然と行うようになっている気がする。
新しい世界の連続の日々だったから、常にそれを楽しむマインドになっている。
そして、どんな環境やハプニングでも、これはインドのあの時よりマシ、これはペルーのあの登山よりしんどくない、など比較対象が世界規模になり、生活する上での様々なハードルが下がっている。

今のところ、旅に出て変わった点というか、少し影響を受けた点というと、思いつくのはそれくらい。

逆に旅の間中、常に睡眠時間を9時間はとっていたこと、日本の好きなTVをタブレットで見続けたことなど、どうしても譲らなかった変えないライフスタイルというか頑固さは、我ながら呆れる。
どこにいても私は私だったし、これからもそうだと思う。
変わらない自分も、少しだけ変化した自分も嫌いじゃない。
楽しい一年だったと、丸ごと肯定できた年も、なかなかない。
自分の中の変化がまた見つかれば、書こう。今思いつくのはそれくらい。


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