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ミダス王の手

触れるもの全てを黄金に変える能力を得たミダス王は最初は歓喜し、すぐに絶望する。オンオフの切り替えが出来ない能力なんてものは、能力自体が如何に素晴らしいものであったとしても、良きものとは言えないのだ。

僕達市井に住む一般人も、見方を変えりゃ【ミダス王の手】の様なものを持っている。

例えば、【話す人すべてを笑顔にする話術】とか、【見た人を魅了せずにはいられない笑顔】とか、【読む人すべてを暗くイヤな気持ちにさせる文章能力】等というものは、習慣となっている個性で、習慣の凄みというべきか、それらが他人に及ぼす影響は一定していく。

ミダス王の手の様に、関わる人すべてに影響がある。
でも、ミダス王の手の様に、強力な能力ではない。
そんな僕らの地味能力。それが習慣。
習慣というのは、知らない内に他人をふんわり癒したり、知らない内に他人をチクッとヤな気持ちにさせたりするんだ。

自覚もないまま、他人になんらかの影響を及ぼす僕らのコミュニケーションは、最弱化したミダス王の手みたいなもんで。
オンオフの切り替えは出来るけど、習慣となっているそれらは常にオンとなっているのがデフォルト。

習慣というものは一定を保ってしまうもので、自分の生活のリズムにおける当たり前と、それが他人に及ぼす影響の方向性の定着がそこにある。相手から見た時の「この人と一緒にいると楽しい」「この人と一緒にいると不愉快」を常態化させてしまうのが、習慣、だ。

ミダス王は「触れたもの全てを黄金に変える力をくれ」と願い、それは叶って、その能力は神の祝福だと歓喜したけど、そんなものは呪いでしかなかった訳で。

習慣が神の祝福のような人もいれば、習慣が呪いのようになっちゃってる人もいる。

コミュニケーションにおける習慣はミダス王の手。そんな考え方をチラッと持っておいてもいいかもしれない。出来てるつもりのオンオフ切り替えは、案外出来てないもんでございますからな。【乱す翁】とならないように気をつけて生きたいものであります。

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