見出し画像

【産後鬱とありがとうの重さ】自己紹介③


初めて入社したところで働いていた友達と、意気投合。その子が住んでいたところから徒歩でも行ける場所で一人暮らしを始めた。

仕事も安定してて、国境を越えて信頼できる友達も数名いたし、楽しかった20代。友達とは、田舎の方に行ったり、おしゃれなレストランも回ったり、穴場なビール工場や、ファッションブランドのセール。決まった土曜日の朝は、ファーマーズマーケット。日曜日午後のパブ。今思い出しただけでも心はずむ。

その仲のいい友達がアデレードに帰ることになった、数年後その子の結婚式があり、ブライズメイドとして式にも参加。その後、今の旦那さんとメルボルンに帰ってくる飛行機(というのも毎日何便も飛んでて、しかも結婚式3日後とかなのに一緒だった!)旦那さんのことはその昔10年前ぐらいから友達を通して顔見知り。

ちょうど震災があったときに、この人は私も私のの家族も大切にしてくれる。と心から思った。

数年後、結婚式、その後、鉄分不足、子宮筋腫が大ききなったり、子宮内膜症の手術、中医にも通ったり、している間に妊娠、出産。


出産。


子宮筋腫が大きくなりすぎて、帝王切開。

問題もなく出産し、そこまでは良かったものの、母乳が出ない!?子供は泣く。泣く。泣く。

オーストラリアの病院では帝王切開でも数日しか入院しなく、お家に帰ったらナースが来てくれたり、サポートはあった。

振り返ってみると病院にまだ入院していた、3日目に旦那さんと共通のお友達と電話中に大泣き。

何をしていいのかも、わからなかった。
母になったことの責任感に埋もれていた。
泣くのがやまないこの赤ちゃん。
生まれた瞬間からあった愛情、愛情はあるのに他人に見えてきた。本当にお腹の中にいたの??そんな渦の中、自宅に帰り、日本から駆けつけて来てくれた母、会いきにてくれる旦那さんの家族、友達、毎日目まぐるしくすぎていった。

はじめは母乳が出ないし、痛いし、夜眠いのに起きされるし、夜が来るのが怖かった。

子供に何をするとかは全然なかったが、どうせこの子も死ぬ、私も死ぬし、とか思った頃はもう産後鬱だったのかもしれない。

騙されたと思った。と言うとすごく申し訳ない。けど、自分の人生が変わりすぎて、変化についていけない自分。子供と一緒に24時間、母乳あげないとお腹空く、子供中心の生活に全然慣れなかった。そんな時私たち夫婦にはu自然を満喫すると言う共通の趣味がこの大変な時期を乗り越える手伝いをしてくれた。多分自然で何かかがリセットされている感じが私たちにちょうどいい。

そして、生後3ヶ月ごろから、??夜毎1時間おきに起きるようになった長女。その頃から私の調子もおかしくなった。GP(ドクター)に産後うつ診断をしてもらうとき、私は大丈夫!的な答えしかできない自分。長女でいい子ぶるのが取れない自分。それでも夜ずっと寝れない娘。今となっては思うのは、下の子が2歳半過ぎ、3歳前まで夜通しで寝れてなかった。今でも起こされるけど、だいたい5年ぐらい夜は普通にどちらかに2、3回起きされてた。

この時、人生で思い出に残る出来事が起こる。

私の高校の時一番仲良くしてくれた友達、のいとこが数年前からメルボルンに引っ越して仲良くなった。その子は私より1年前に子供を産んでいた。私は寝れなくて辛い時、その子のお家は1時間かかるところにあるのに、そこから車飛ばして来てくれて、私の長女を少し(1時間ぐらい)散歩に連れて行くから、ゆっくりシャワーでも浴びて。と言ってくれて、あの感覚、娘が私にくっついていない、家で自分一人、昼間に時間がる!シャワーに中で大泣きしたのも覚えてる。

この経験が、優しさをお通り越して、愛だった気がする。その友達はさりげなくそう言うことをできる人。人思いで、いつもさりげないプレゼントや、メールそんなことをさらっとできちゃうかっこいい人。

そして私は、メルボルンに住んでいる日本人ママで私みたいに助けがなく困っている人を助けたい!!!と後心からそう思うようになった。私は友達から受け取った優しさや愛。を循環していきたい。

その後もやっぱり寝なくて、Sleep school にも通った。4泊して子供を他の部屋で寝せるようにする練習。ギャン泣きでもトントンして部屋お出て、まだないてたらトントンしてまた部屋を出てを何十回もやる。いろいろ学べていい経験だったが、同時にすごく辛い経験でもあった。オーストラリアではコット(ベビーベット)で一人で、しかも他に部屋で寝させるのが普通。日本の友達や家族からはそんなことしなくてもー。と言われたりすると自分何やってるんだろうと泣きたくなったり、子育ての軸ブレブレの時期。

娘を産んでから6週目から運転できるようになり、市が主催している、同じ地域で同じ頃に初めて子供産んだママのグループに参加、そこで出会ったママとは今でも連絡を取り合っている。8週目から日本語のプレイグループへ。家で一人でいると、すごく負担だったので、外に外に出て他のママと交流していた。今思うと夜も4時間寝れればいい方で、それで外に出る。それでも出たかったんだなと今になっては感じる。

そこであった日本人先輩ママ。ローカルのマザーズグループに所属していても、日本語で話せる気楽さ、そして旦那さんや自分の家族ともある文化に違いなども話せて、本当に今まで出会ったママに感謝しきれない。

仕事復帰も間近になって来た時、保育園の試しもやり。。。。保育園で初めて置いて行く時、車の中でごめんねーと私が大泣き。保育園も慣れないで食欲もなく泣いて疲れてくたくたな我が子を見ると。何やってるんだろう??と言い思いにもなった。

長女出産後、仕事復帰。週2から3、を少しやってフルに戻った。会社で婦人服をお手伝い、そして仕事をして「ありがとう」と言われることに、私は社会に貢献していると感じていた。子育ても社会、未来に貢献してるのに、そのありがとうを聴けるか聞けないか、感じれないかだけで、自分はこんなにも変わるんだと感じた。

その後、私の人生何がしたいか
突き詰めて行くようになる

子供ができて変わった。

よく聞く言葉

今は私は子供達が、「私に私らしく幸せに生きていいんだよ」と教えに来てくれたと思っている。

人生どうやって生きようか?と言うよりも
コーチングを学び始めてから、
どんな人生だったら最高か?
今の行動はそれに向かっているのもなのか?


そう考え始めたときに、2人目を妊娠♡
人生の価値観が変わった。

続くは



海外子育てママコーチ
クラーク伯子

ホームページ
http://norikoclarke.com/
フェイスブック
https://www.facebook.com/norikoclarkeofficial/
インスタ
https://www.instagram.com/norikoclarkeofficial/
Twitter: @noriko_clarke

--------------------------
「子供たち、そしてママも笑顔が多くなる、そして自己肯定感を上げるコミュニケーションスキルを学んでみませんか?」

マザーズコーチング講座 開講中
平日メルボルン、オーストラリア時間夜9時から
週末、お問い合わせください
https://norikoclarke.com/motherscoaching/

また、個別コーチングも募集いたします。

ママ起業サポート、ビジネスロゴやチラシなどもお手伝いしています。
https://norikoclarke.com/nckcreativedesigns/





この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?