「やりたいこと」をやる勇気
4月から京都芸術大学通信制の文芸コースに入学した。気がつけば大学に入学して早くも半年が経過していた。この節目に、大学に入学を決めたことや、入学後に感じたことなど、これまでを振り返ってみようと思う。
大学に入学した理由は、40代になっても忘れることがなかった進学しなかったことへの後悔だった。
大学へ進学を決めるはずの18歳の当時、我が家では母が大病を患っていた。母の病気の心配はもちろんだが、勉強をする時間を削りながら、家族で家事を分担しなければならなかったことや、長く続く母の闘病のために、度々仕事を休まなくてはいけない父のことなど、10代の私にはとても抱えきれない、大きく抗いようのない問題が一気に押し寄せていた。
家計や病気のことがどうしても頭をよぎっていた当時の私は、大学に行きたいという気持ちを抑え込み、そのうち考えるのもやめてしまって、気がつけば早く就職して自立することを優先することを決断していたのだ。
当時の私といえば、芸術や美術などが好きで、それ以上に、作品を生み出す「人」に強い憧れを抱いていた。私も芸術や表現の世界を存分に味わってみたい。そんなふうに願っていたのだ。
そして、40代に入った頃から、少しずつまた表現したいという気持ちが私の中に灯り始めた。とはいえ、華々しい経歴があるわけではないにしても、これまで築いてきた仕事だってあるし、物覚えの悪くなってきた自分の自覚もある。「今から始めるなんて、何にもならないんじゃないの?」という悪魔のような小さな声が、いつもいつも自分の気持ちを制御していた。
そして数年が経ち、40代も後半戦に。
僅かに熱を帯びただけのはずだった芸術や表現への憧れは、不思議なことにさらに熱くなり続けていて、もうこの人生を後悔で終わらせたくないなら、やるしかないんだなと降参した。そして私は自分のために文芸を学ぶ決意をした。ずっとずっと好きだった言葉の世界のことを。未来のためや家族のためではなく、自分自身のために。
仕事をしながらの学業には不安はあったが、意を決して入学をした。何十年かぶりの学生という響きや、見知らぬ世界の入口のようなシラバスを見て、これから先、どんな世界が見えるのかと思うと、久しぶりに胸が高鳴った。
そうして始まった期待の詰まった学生生活だったが、入学してすぐの5月に父の介護がスタートしたのだ。
仕事に、介護に、大学に…。想像していたより時間に追われるような毎日になったけど、18歳の私が叶えたかったことを叶え始めている自分に決して後悔はない。
この半年間は文学や芸術の世界に、ようやく少しだけ足を踏み入れた私は、これまで自分だけでは出会うことのなかったたくさんの本たちと向き合うことができて、たくさんの言葉一つ一つに込められた思いをじっくりと感じている。
そして私の中に眠っていた感情や夢や願いを再発見することができた。自分の心に素直になって、やりたいことに挑戦するのはいつからでも遅いことなんてなくて、いつだって、何歳であったとしても、その先には新たな発見と感動と希望がそこに待っていることを知った。
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