芽生えた気持ちに素直になる
いわゆる自粛期間というものを経験して、何も予定を入れない月日を経験した。
今までは、朝7:00には必ず起きて、夜は20:00頃に帰宅するという、日本では珍しくないスタイルで、週に5日働いていた。
違和感は唐突に
朝の気配が残る時間帯に電車に乗り、夜はもう暗くなり、電灯無しでは歩けない程度の暗さだ。
それでも、過重労働などと呼ぶには、きっと大げさなくらい、一般的な労働スタイルだと思う。
だからこそ、違和感を感じることもなく過ごしていた。
自粛期間中は、この朝7:00から夜20:00までを、めいいっぱい自宅で過ごした。
最初は、掃除をしたり、要らないものを処分したり、丁寧に食事をつくったりと、普段やれないことに、これでもか、と挑戦してみたりした。
それも、毎日つづいていくと、やりつくしていき、外を眺める時間が、日増しに増えて行った。
時間の使い方が変わって気が付いたこと
一日の中で、数時間、外を眺めるだけの時間を過ごす。
何の目的もなく、何をするわけでもなく。
ただ外を眺めてみると、外には、いろんな音や、色が存在していた。
夕暮れの色、曇り空の色、なんだか名前のわからないような虫の音、外で鳴いている鳥の声。
どれも、今まで傍にあったはずなのに、気にしていなかった沢山の息吹。
ああ幸せだな。
不謹慎にも、私は、そうつぶやいていた。
人の心の中に潜む慈しみというもの
きっと、生き物の生き生きとした、強い生命力を感じることは、人にとっても幸せの1つなのだと思う。
生きとし生けるものが、幸せであること。
気が付かないでいたけれど、心のどこかで、誰もが願っている思い。願い。祈りなのだと思う。
このころを境に、私の中に、ある思いが芽生えてきた。
生きとし生けるものが幸せな世界をみんな望んでいるのだろう
生きとし生けるすべてのものが、幸せになる社会について、すこしづつ考えてみたいという思いが芽生えてきた。
自分の中に、慈しみという感情があるのならば、それをそだててみたいと願う気持ちが芽生えた。
今はまだ、私に何ができるのかわからないけれど。
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