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ご利益とは

今年もまた、近所の学問の神様を祀る神社に初詣に行った。
三が日を過ぎたこともあり、その日の参拝客は少なめだった。

何年か前、末っ子の大学受験の時、その神社の近くに住んでいた長女が彼のためにお守りをもらってきた。
それを見て思わず夫と私は顔を見合わせる。
長女には悪いが、そこの神社はそれまでちっとも願い事を叶えてくれたことがなかったのだ。

ウン十年前、私は何度も(何年も浪人してたからねっ)そこにお参りし、祈祷までやってもらったのに何回も撃沈。
ついに希望していた大学には進めなかった。
(もっとも、私の実力不足は明らかで、志望大ならぬ野望大だったんだけどね)
長女は機会がなかったけど、長男の中学受験時は志望校模試がその神社の近辺の塾であったので、彼が受験している間にお守りを入手。
彼に渡すも、彼の第一志望校(私の第一志望ではない)とは縁がなかった。
(合格可能性はいつも99%だったのに…当時はそんな数字の出る模試でした)
そんなものだから私の中では「あの神社はちっとも…」となっていたのだ。

さて末っ子の大学受験。
前期試験二日目、彼は真っ青な顔をして帰ってきた。
英作文で(○○字)という余計な語を書き添えたんだと。
あそこの大学の入試は国語でも解答欄はみ出すとかルール違反をするとバツ、零点だからね。
楽天的な彼が絶望していた。
それでも後期試験があるのが救い(その時は前期後期があった)と、前期試験の次の日から必死で勉強していた。
彼曰く、今まで一番勉強したらしい。
あの論述対策はあまりものを考えない末っ子にはいい経験になったと思う。
で、前期試験発表の日。
インターネットの発表で彼の番号を確認した。
(と言って、これもあまりに私の間が抜けてるんだけど、最初に全然違う番号で「あったよ」と大喜びし、彼に「おかあさんそれ違う」と指摘されて再確認。もしなかったらと思うと)
後期試験は受けずに済んだ。

思うに、あそこの神社はやはり信ずるに足る。
だって私は大学受験に失敗したおかげで心を入れ替えられたんだし、いろいろなことに気づくことができた。
長男も別の中高に進んだことで多くのかけがえのないものを得、それが次男の進路にも大きく影響した。
あそこの神社には目先の合格だけでは測りきれないご利益があると思う。
もう家に誰も受験生がいなくなったのに参拝するのはそれが理由だ。

以上、あくまで私見です。

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