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「愛って何だろう?」子どもたちの胸の中 ペイ・フォワード記事Vol. 58


復職したのは愛について語るため

二人目の子どもの育児休暇がこの夏明け、3年ぶりに高校教員として働き始めました。二人の育児休暇の間、様々な経験をさせていただきました。そこからの学びを私なりの表現で生徒たちに伝えたい!という氣持ちになりました。

育児休暇中に出会った友だちには、「え、先生なの?そうはみえないね、いい意味で」とか「どんな授業するのか氣になる」とか声をかけてもらっていました。ならば!今回はどんなやりとりが私と生徒との間でなされているのか、教職に戻って感じる恩贈りのエネルギーはどんなものか、取り上げてみようと思います。

「愛」って何だと思いますか?


「愛」って何だと思いますか?

生徒からこういう質問が出てきました。

私はいつも授業中、「みなさんは愛の存在です。愛ある行動をしましう。」とずっと言い続けています。だからこそ生徒たちの日常会話に「愛」という言葉が登場するようになったのだと思います。お年頃の生徒たちにとって、「愛」という言葉を口にしたり考えたりすることはもしかして照れくさいこともあるかもしれません。でも生徒たちは自分なりに「愛」について考えようとしてくれていて、いつも私が伝えようとしていることが伝わりつつある、と教員冥利に尽きる想いでした。

なぜ「愛」という言葉を教育現場で出すことになったのでしょうか。それは、私が2人の子どもを授かり育児する中で、育自させていただき学ばせていただいたことが大きく影響しています。

「生み出され生み出す」大きないのちとの繋がり



その学びとは一言で言えば、生命の連綿としたつながりをより実感をもって感じられるようになったということです。これはなんとしても生徒に伝えたい真理だと確信したのです。これまでも、お盆やお彼岸、命日にはご先祖様に祈りを捧げてきました。それに、自分を生んでくれ育てくれた両親や家族にも感謝していました。でもそれだけではどうしても「自分」どまりでした。私がこれまで何をしてもらったか、ということですね。でも、自分自身が「親」の立場になってみて、初めて私は「生み出され生み出す」立場になったのです。この立場になって初めて、自分は大きな流れ・生命・いのちの一員でありそのものなのだ、ということをストンと納得することが出来たのです。「私は何かしてもらう立場でもあり、誰かに何かしてあげられる立場でもある」という発見です。

愛って何だろう?の質問に私は「感謝」と答えました。ある生徒は「自分の考えと一緒だ!」と言っていました。私はこう答えました。「何事も感謝の気持ちでいると『ありがとう』という言葉が出てくるよね。前に皆が言っていた『有り難し』という意味だよね。目の前にあるものすべてが「有り難い」ものだと思っていると自然と感謝の気持ちが湧いてくるし、それこそが「愛」の感情だと思う。」

「有り難し」の言葉は生徒たちが前年度まで勤めていらした先生から教わった言葉だそうです。その「有り難し」の考え方と「愛」の言葉が「感謝」という言葉でつながって生徒の腑に落ちたのではないでしょうか。

6歳の我が子とのお約束


昨日仕事を終えて家に帰ると、私の帰宅を待っていた娘が「渡したいものがあるの」と、手作りのお手紙を手渡してくれました。手作りの便箋いっぱいに書けるようになったばかりの平仮名が並んでいます。「まみぃいつもありがとうだいすき おたんじょうびおめでとう」こんな心のこもったプレゼントをもらえるなんて思ってもみませんでした。そしてそれを渡したくて待っていてくれたことを思うと心から幸せを感じました。

「あなたがプレゼントをくれたから私も元気になったよ。だから明日からまたおにいちゃんおねえちゃんに教えることができるよ。」と伝えると,娘はこう言いました。「私がマミーを元気にして、マミーがおにいちゃんおねえちゃんを元気にして、そしておにいちゃんおねえちゃんがまた次の人を元気にするんだね」と。いつもお互いさまチケットやお互いさまの街ふくしまを広げる活動に協力させていただいて私自身学びがたくさんありました。それがきちんと6歳の子どもにも伝わっていたことがこんなに幸せなことなのだとしみじみしました。

そして今朝仕事に行く前に娘が「昨日のことをおにいちゃんおねえちゃんに伝えてね。」と言ったので,恩贈りのメッセージを生徒たちに伝えることを約束しました。早速授業で生徒にこのことを伝えようと思っていると,授業が始まる前に生徒から「愛って何?」の質問が出たのです。こういうことに想いを寄せてくれているこの生徒たちにならきっとこの娘のエピソードも響くだろうと思い話をしました。そうすると、生徒たちからは「6歳の子どもがこういうことを言うんだ」という表情で「お~」というどよめきが起こっていました。「この話を聞いた皆さんから今度はどんな恩贈りがあるのか楽しみだな。」と伝えました。私はきっと生徒たちが胸の深いところでこの出来事を温めてくれると信じています。

高校生と考える恩贈り

実は前の6歳のこともが恩贈り発想の話をしているということを生徒たちは理解しています。なぜなら社会貢献についての学びが始まるタイミングで、私は生徒たちにの動画を見せていたからです。

お互いさまチケット発祥の地BLTカフェ


なぜ社会貢献について学ぶ前提として生徒にこの動画を見てもらったのか。それは、「なぜ」働くのか、という信念がはっきりしていると、働き方が意欲的になったりやりがいが出てくるということを感じてほしいと思ったからです。お互いさまチケットという社会貢献を実践している職場で働いていた当時高校3年生がどのように感じていたか、この記事をご覧ください。

生徒たちは上の動画を見て、見知らぬ誰かのためにチケットを贈ったり、そのチケットを使って無料で食事できるということに最初はとても驚いていました。実際に使ってみたいという人もいました。「恩贈り」について説明するうちに、生徒たちはそのコンセプトを理解してくれました。「社会貢献」をなぜするのかという考えを深める際にも、個人と社会と世界は繋がっているからよいことをすればそれが巡って自分に返ってくるし、悪いことをすれば同様のことが起こるということがしっかり理解できているようでした。

さらに嬉しかったことは、「最近分かったんです。理念を理解するだけではなくて、それを実行に移すことが大事だ、ということが。」と生徒が教えてくれたことです。ある時、授業で使う物を運んでくれた生徒にもこんな風に伝えました。「あなたが今これを持ってくれたから私は嬉しくなった。だから次の授業も頑張れる。ということは、あなたが今してくれているこの行為は恩贈りになっているんですよ。」それを聞いた生徒はなるほど、という顔をしていました。とても簡単なことでも、恩贈りのスタートになるんですよね。

日頃「愛とは何だろう?」と考えたり、「愛ある行動をしよう」と声を掛け合ったりするようになった生徒たち。日常的に「恩贈り」という愛ある行動をする子が増えていくはずです。これから生徒たちの成長がみられるのがますます楽しみです。

「社会貢献」はあなたでいること


チームふくしまの代表理事半田真仁さんとはよく連絡を取り合って日常的な学びのシェアをしています。先日はたまたま、「社会貢献って何だろう?」という話題になりました。私は国語の授業で現在「社会貢献をする意義」について生徒と考えています。これは、就職や進学を目の前に控えている高校三年生の子どもたちにとって大変身近な話題です。私は授業中「社会貢献をなぜするか考えるときに、『個』を広げて捉えてみよう。」と伝えています。「わたし」という個の存在は、実は会社で働いたり学校で学んだりすることで社会のためになっています。そして社会や世間のためになると、それが世界の平和や地球環境の保全にもつながっています。だから、あなたは個人として愛ある存在で尊重されるべきだし、仕事や学業を通して社会のためになることをするとそれが世界にもつながっていくんですよ、と。
このように、個→社会→世界のつながり、世界→社会→個のつながりがあり、その根底には愛のある恩贈りがあるということも伝えています。

それについてはこの記事にも書きました。


このことを話題にして半田さんに「社会貢献とは何でしょう」と聞いてみると「その人の存在そのもの」という答えが返ってきました。半田さん自身が子育てをしている中で、我が子に対して「~~をしたからえらい」とか「~~できたからすごい」という表現をしないように奥様と話し合っているそうです。つまり、子どもは存在するだけで誰かのためになっていて、それこそが社会貢献だということです。「例えばあなたがいなくなったらさみしいし、あなたがいると思うとやる気が出る」という言い方をしてくれました。
この話を生徒に伝えると、「友だちと随分深い話をしていますね。」と感心していました。その様子を見て私はこう伝えました。「そうなんです。あなたは愛の存在だからそこにいるだけで素晴らしいんです。でも自分のためだけに生きられると思う?」と聞くと「いろんな人との繋がりの中で生きているから、それは無理だと思う」という声が返ってきました。「だから自分で自分を大事にしてほしいし、周りからも大事にされるべき存在だよね。そうすると誰かのために何かしたくなるのではないかな。」

私が「生み出され生み出す」立場になって初めて納得のいった個と大きないのちとの繋がり、そしてお互いさまの街ふくしまを一緒に広めている半田さんとの会話で学んだ社会貢献の意味。こういう「実感を持って納得している世の中の真理」を生徒に伝えることができ、それに興味を示してもらえるということは「有り難し」そのものです。だからこそ私がこのお志事をさせていただいていることに感謝を示し、その気持ちを愛のこもった行動に移していこうと思っています。

愛について語る授業


高校三年生の授業で「愛」について語ることは私の教員としての役割だと思っています。生徒たちは、なぜ学校にくるんだろう?何にために生きているのだろう?という青年期ならではの疑問に向き合っています。それに自分なりの答えをうまく見いだせずに悩んでしまうと、生活そのものがただ「こなす」だけのものになってしまいます。「愛の存在」である子どもたちに,そのことを思い出してもらうには、日頃からずっと「あなたは愛の存在ですよ」ということを伝え続ける必要があると思っています。「生まれてくれてありがとう」「生きていてくれてありがとう」「あなたがあなたでいてくれてありがとう」。こういうまっすぐな言葉をたっぷりと届けたいと私は思うのです。それは家族だけからもらうべき言葉や愛情ではないと思います。人間は対等なのだから,「あなたでいてくれてありがとう」ということを言葉や行動で伝え合ったらいい。そして、「わたしはわ
たしでいていいんだ!」とお腹の底から感じられたとき、子どもたちはきっと自分がよりのびのびできる方法で自分を愛し,他者を愛することができるようになるでしょう。個のいのちと大きないのちに感謝できるようになる。それを信じて私は授業で愛について語ります。

いのちの授業



チームふくしまの代表理事半田さんは先日台湾に行ってきました。台湾初のお互いさまチケットが導入されるので開所式に参加されました。また、地元の日本人学校の小中学生の防災DAYでも講演をされました。日本で防災というと、避難訓練や災害を想定したコミュニティ作りなどが連想されるのでしょうか。しかし台湾の日本人学校では、防災DAYでいのちの大切さを学ぶ授業をしていました。実際に子どもたちが書いた感想を読ませてもらい私は子どもたちの感受性の豊かさに感動しました。

「いのちは自分のものだけではない。これまで自分にバトンが回ってくるまでに多くの人が支えてきてくれたし、そして自分も次の人にバトンを渡す立場でもあるんだ。だからいのちは大事にしなくては。」

そういうことを学び取ったのだと感じられました。いのちの大切さが腑に落ちたのなら、防災の重要性は誰かから説明されなくても子どもたちは自ら理解するでしょう。
この台湾の日本人学校における防災DAYの取り組みや、そこでチームふくしまさんが成し遂げた役割に私は感銘を受けました。

いのちの大切さや自分が愛の存在だということを心で理解しているならば、人は自分がすべきことを自ら見つけていけるはず。それが防災の行動、人を思いやる行動、自分らしく自分の人生を精一杯生きるという行為になるのでしょうね。

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