ヴィンテージ:9
「ところでさ」
「いきなり脱線して急に何よ?」
「今、飛香が家に来てんだ」
「来てるって? 遊びに? そんな柄じゃないじゃんあの子」
「違う。俺んとこ住んでんの」
4Hで細やかに描いていた陰影を刻む為のサッサッという一定のリズムがその言葉を聞いた瞬間やんだ。
「は!? 一緒に暮らしてる? 何言ってんの?」
「うるせえよ。周りに聞かれたらアレなんだから静かにしてくれって」
「ちょっ。それは、それは、寝食共にするってやつでしょ」
「そうだけど、ぜったいにお前が想像してるようなものじゃない」
「いやいや、高校生とはいえ男女が同じ部屋で住んじゃ何もない訳ねぇだろ。しかも、何? 何がどうなってそうなった? ちょちょ聞かせてや」
「あーだる。アイツが俺のアパートの階段に座って言ったの。今住むとこない。って」
「それだけ?」
「しゃあねえなって。まあそんな感じ?」
俺はバツが悪くなって視線を逸らした。
「しゃあねえな俺んとこ来いよ。ってやつ。お前は何だ。飛香に何しやがった。吐きやがれ糞野郎」
イーゼル越しに飛び掛かろうとした茉理を俺は片手で肩とか頭とか掴んでわちゃわちゃしながら彼女を止めた。
「いや、1時間くらい口論したから。は? 何で俺んとこ来んの? いや、二人住めるスペースないし、床で寝るとかじゃなくて男女でそれなりの歳で住むってヤバいだろ。いやいや、前も同居したことあるからじゃないっつうの。前は前。どなたかご存知有りませんが、その方の貞操観念がちょっとどっかいっちゃってるだけなんじゃないんでしょうか。は? じゃああなたは何かするつもりでもあるの? って? はぁ。ないないないないない。ないです。はい。ないです。じゃあいいじゃんじゃねえよ。って1時間」
「飛香アイツ何考えてんの?」
「お前から言ってやってくれよ」
「でも、聞かないじゃんそういうとこホントに」
「だから、ご親友の茉理さんに頼んでいるんですけど」
「詰んでる」
「は?」
「これはアンタの負けだから諦めてなるようにでもなれば?」
茉理はその言葉を吐くと急に興味が失せた感じで筆を摘み一定のリズムを取り戻す。
「そんな、そんな、殺生な。茉理ならなんか言えるだろ。来られても困んだよー」
「でも、今いるんでしょ?」
「うん。いる」
「なら、泊まれてるじゃん。問題起きてないからいいんじゃん」
「じゃあずっと居させろっていうのか」
「飛香ってこういう時はテコでも動かないからさ。卒業までいたがるならそうさせなさい」
「ふざけんなよ」
「ふざけてないし、アンタだって理解してんじゃん。だから、アタシんとこ来たんだから」
「そうだけど」
「茉理さんだってできないものはできないの。逆から見れば今はアンタの方が言う事聞くんじゃない?」
「なんで」
「絵に口出ししてたじゃん」
「口出しって。どう思う? っていうから言っただけじゃん」
「でも、飛香はそっかじゃあ変えよ。って言って描き直してた。それ見てアタシぽかんとしたんだから。絵に関して他の人意見聞いた事一度もなかったから」
「たまたまだろ」
「たまたまじゃないね。この私が言うんだから。たぶん、波長が合うんだよ。飛香にとって今はアンタが必要なんじゃない」
茉理はあくびをしながらそう言った。
「必要って。困るんだけど」
「あ。あと、手出したら殺すからね」
「わかっております」
「飛香が黙ってても気づけるから勘で」
「そんな目で見んなよ怖いから。何もしないから。何もしないから相談しに来たんだからさ」
「それならばよろしい」
美術室の薄汚れた白いカーテンがふわっと風で浮いた。それを見ながら俺は餌にありつけなかった猫のような顔で肩をすくめてこの先を考えていた。
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