《ドMの晩酌:第三夜》 セミのチャイム
今の時代なら通報されるレベル
私は虫が怖い。
私も「いい大人」と言われる年齢になったので、その理由を論理的に分析するならば、それは「次の一手が読めない」ということだと思っている。
虫はどこを見ているかよくわからないし、どっちに飛ぶのか動くのか予測がつかない。それが心底怖いのだ。
私は、幼い頃から相手の心情を推察し、自分から積極的に働きかけることで、家庭内の不穏な空気を変えようとしてきた。
最初は「みんな笑顔でいて欲しい」というシンプルな思いだったはずだが、成長するにつれ、それが使命感へと変わり、気づけば関わる人すべてにそれを適用させていた。
きっと、このことに共感してくれる人は結構いるのではないか。
しかし、私の場合はこの使命感がそれなりに功を奏してしまい、自分の働きかけ次第でものごとを変えられる「自信」という、負の副産物を生んでしまった。
私の数々のドM的行動は「想定内の現実」を獲得するための唯一の手段だったのだ。それが虫には一切通用しない
とは言え、私は別に今夜の晩酌でこのことを突き詰めたいわけではなく、むしろ真逆だ。つまり、虫に対する恐怖は「タタリ」という非論理的な理由のせいではないか、と思っているのだ。これを読む方の多くは「え? そっち?」という気持ちだろう。
私も空気は読める方なので、その気持ちはよくわかる。
しかし、これから書く内容を読めば、多少はご理解いただけるのではないかと思う。
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私が生まれ育ったのは北海道の千歳市。当時人口七万人ほどの、都会でも田舎でもないゆったりとした街だった。
私が五歳の頃、とある新興住宅地に図らずも一番乗りで両親が家を建てた。他の区画には一切建物がなく、遠く離れた国道を走る車が見えるほどだった。
両親は共働きだったし、仕事が休みだったとしても私の遊びに付き合ってくれた記憶は、ほとんどない。
四歳上の兄は時々私のお世話をしてくれたが、当然、自分の友達と遊ぶことを優先していたため、私の記憶のほとんどは、ひとり遊びの光景で占められている。
寂しかったのかもしれないが、両親の喧嘩や父が兄を叱責する光景を見せられるくらいなら、ひとり遊びの方がよっぽど気楽だと思っていた。
そんな私の当時の遊び相手、それは「虫」だ。
今と比べて昔は虫が多かった。虫取り網をサッと一振りすれば、トンボを簡単に捕まえられたほどだ。寒い冬の季節をのぞき、私は目的もなくあらゆる虫を捕まえ続け、近所に同年代の友達ができるまで、この遊びは続いた。
ここで断っておくが、私はいわゆる「昆虫好き」ではない。
捕まえた虫を飼ったことはないし、図鑑で名前を調べたこともない。
ただただ、毎日「捕まえる」のだ。捕まえた虫の多くはそのまま放したが、一部は私の「ヒラメキ」の犠牲者となった。
読んでいる方の非難を承知で、その「ヒラメキ」のごく一部をここに紹介する。
私は蟻に注目していた時期があった。
蟻の巣を見つけては小枝で穴を潰し、逃げ惑う蟻たちを、それはそれは興味深く観察していた。その時に「ヒラメキ」がやってきた。
ダッシュで自宅に戻り、手にしていたのは魔法の道具「セロテープ」。
それを使って何をしたかというと、土の上から舗装道路の方に逃げ惑う蟻を見つけては、次から次へとセロテープで上から貼り付けたのだ。
最悪だ。
もし、今の私が自宅近くの道路上で同様のものを見かけたら、間違いなく声を出してビビる。こんな想像を超える恐ろしい行為をする人が、近所に住んでいるだなんて。息子たちへの影響を考え警察に通報するかもしれない。
そうまでしなかったとしても、近所のママ友に情報提供することは確実だろう。
私が地面にセロテープを貼り付けたのは両親の車庫の真ん前。
毎日のように車に乗っていた彼らは、これに全く気がつかなかったのだろうか。
できることなら「命を大切にしなきゃダメでしょう!」と、こっぴどく叱ってもらいたかった。
いつか来る友を待って
依然として生命の重みを理解していない私は、ひとりで留守番をしていたある夏の日、セミを捕まえることに夢中になっていた。
網から取り出したセミを手に取り、複雑な模様の背に触れると「ジーッジーッ」と音が出る。ここで私に、またしても「ヒラメキ」がやって来た。
「こ、これは、アレに使える・・・。」
捕まえたセミを手にダッシュで自宅に戻り、セロテープで自分の部屋のドアに貼り付ける。さらにセミの隣に紙を貼り、こう書いた。
「ノリコのへや あそびにきたひとは、このチャイムをおしてね」
そして、部屋に入り友達が来るのを待つ。
今でもあの時の感触をしっかり覚えているが、私はかなりワクワクしていた。つまり「ごっこ」でなく本当に待っていたのではないかと推察する。
「来ないなぁ」と呟いては、チャイムが壊れていることを疑い、何度も鳴ることを確認する。
もしも私がセミだったら「こんな拷問を受けるくらいなら、いっそのこと・・・。」と思ったに違いない。
誰かが来ると本気で思っている私も怖いし、だからと言って、本当に誰かが来たらもっと怖い。どちらにしてもホラーだ。
その後の記憶は無いが、きっとセミが旅立ったタイミングでこの遊びは終わったと思われる。
その後も「ヒラメキ」に突き動かされた行為を繰り返していた私だが、ある日、突然、虫が恐ろしいと感じるようになり、数々の残虐な行動は終わりを告げた。
それから約四十年。
虫たちと遭遇する度に、私は全力ダッシュで逃げ続けている。
「虫さん(さん付け)、許してください! 許してください!」
と心の中で叫びながら。
さらには、床に落ちている糸くずや、息子たちがぶっ飛ばしたスイカのタネなども虫だと勘違いし、その都度体は硬直し心拍数はマックスだ。
一体、私の心臓はいつまで持つのだろうか。
息子たちにはしっかりと命の大切さを伝え、このタタリ(あくまでも仮説)は、私の代で終わりにしなければ。そう強く心に誓った(仮説なのに)今夜の晩酌であった。
(イラスト:まつばら あや)
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